今朝は気持ちの良い青空。昨日はションボリして元気がありませんでしたが、今日は気持ち良く目が覚めて、体中に力がはいりました。朝一番でご近所の月参りをして、お布施を「お預かり」してきました。
お布施を「お預かりする」というのは、私が意識的に使っている言葉です。僧侶に手渡されるお布施は、前回お話ししましたように、財施という布施行の一つです。仏教徒「修行」の一つですから、布施の相手は僧侶ではなく仏様とそれを祀るお寺です。お布施はお経をあげる対価(料金)ではけしてありません。僧侶の側からみても、お経をあげたり、法要をしたり、布教のための法話をしたりするのは、法(真理=仏様のおしえ)をみなさんにお伝えする「法施」という布施行なのです。僧侶の側からも布施をさせていただいているわけですね。
布施行をさせていただいているのですから、対価は発生しません。読経法要、法話などの僧侶としての行いは、すべて「修行」なのですから、仕事ではありません。しいていうなら「役割」でしょうか。僧侶であることは仕事ではなく、生き方というかライフスタイルのようなものだと思います。
仕事には対価(給料や料金)が発生しますが、僧侶としての行為には対価はありません。ですから、お布施は料金ではなく、皆さまの「お気持ち」。僧侶はそれをお預かりして仏様やお寺に届けるだけです。
一方、お寺の住職は職業です。寺院は宗教法人ですから、その責任役員として、寺院の運営や維持に必要な仕事をします。お預かりしたお布施を適切に使ったり、保持したりするのも仕事の一つです。これは仕事ですから、それに見合ったお給料をいただきます。いただいたお給料からは、当然、みなさんと同じように所得税を払うのです。
お寺に献じてくださったお布施から、お寺の維持に必要な経費を差し引くと、多くのお寺では住職の給料にまわせる金額は非常に限られます。住職やその家族などの生活を支えるのに十分なお金が残るのは、全国の寺院のおよそ30%ぐらいと言われています。ですから、住職の多くは教師や会社勤めをしている「兼業」です。
私も、まだまだ住職としてお給料をいただくほどの仕事はしていません。ですから、僧侶になる以前から続けている旅行ライターの仕事をしています。通訳や特殊なツアーのガイドをしたりもしています。まだ当分は兼業住職ということになりそうです。
・今日の写真は二世紀ごろ、ガンダーラ(現パキスタン)で作られた仏頭です。ギリシャ彫刻の影響を受けているといわれるガンダーラ様式の仏像は、気品に満ちて、少し哀しそうな表情が特徴です。