慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

事務仕事が苦手過ぎる・・・・住職向いてないかも・・・・

f:id:jiunji:20200717123859j:plain

 しばらくブログの更新を怠けていました。天然温泉付きのリゾートマンションで、リタイヤ生活を始めた友人に会いにいった(温泉が主目的なのは内緒)のと、いくつかの書類の始末をつけなければいけなかったので、数日固まっておりました。

 前にも何回か書きましたが「僧侶」は仕事ではありません。「仕事」の定義はいろいろかと思いますが、本来なんらかの「報酬」が発生するものが仕事だと私は考えています。

 お経を読誦したり、仏様に御供養したり、説法をすることは、「仕事」ではなく、私の「修行」です。対価は発生しない。むしろ、修行の機会を与えて下さったお寺や信者の方に感謝しなければいけないことです。

 檀信徒から供えられるお布施は、その方々にとっての「布施行」という修行です。仏様やご先祖への供養、寺院のサポートという布施行なのです。ですから、僧侶である私に「支払われるもの」ではありません。

 一方、住職は「仕事」です。その寺院に供えられたお布施を適切に使って、寺院を維持し、宗教法人を運営していく役割です。仕事に対しては報酬をいただき、きちんと所得税を納めるという義務を果たしていく・・・という流れです。

 ついでに言えば、宗教法人も「法人市民税」や「法人県民税」などは支払い義務があります。

 

 と、いうわけで、住職としては、書類申請や支払い、会計など、けっこう事務仕事が発生するのです。とは言え、檀家のない慈雲寺は他のお寺にくらべると、事務処理をしなければならないことなど、ほとんどありません・・・でも、ないわけではない。

 しかし、事務能力がゼロ以下、マイナス38ぐらいの私にとっては、まさに泣ける日々です。それでも毎日少しずつでも処理していけば良いのに、先送りにするので、追い詰められてしまいます。自分が情けなくて哀しい。

 裏の空き地の雑草も、すばらしい勢いで生えてるし・・・

 なんて、泣き言を言っていても何も解決しないので、とりあえず、今日は、法人事業税と法人県民税の支払いに行ってきます。

◎今日も、極楽を地上に再現したといわれる宇治の平等院です。