先生も僧侶も走り回るほど忙しい「師走」も押し詰まってきました。年末年始はまさに真冬。厳しい寒さのためか、お亡くなりになる方も少なくありません。
先日、ある方が相談に見えました。お父様が延命治療中で、ご臨終も近いと覚悟しているとのことです。この方とお父様は長い間さまざまなことで確執があり、わだかまりが積もっているそうです。「おやじが亡くなっても葬式などしてやりたくない。火葬場に直葬するつもりだが、まあ、最後に短いお経ぐらいはあげてもらいたい。庵主さんやってくださいますか?」
私は「最後に短いお経ぐらいはあげてもらいたい」という、その方の言葉の奥に深い哀しみがあるのを感じました。
家族というものは、いつも「仲良く幸せで、相手を思いあう」ことができるとは限りません。むしろ、「家族なのに、なぜわかってくれない」、「家族ならもっとこうして欲しい」と、次々とわだかまりができてしまうことも少なくありません。生きている間に絡みあった思いが解決できるのが一番ですが、なかなか難しいこともあります。
「葬式なんかあげてやるもんか!」という気持ちがある人ほど、ぜひきちんとした葬儀をなさることをおすすめします。もともと、葬儀は亡くなった方の冥福を祈るものだけではなく、残された人々の心を癒すためのものなのです。
お経はお釈迦さまの教えを述べたものです。お経を聴くことによって、お釈迦さまの教えを通じて、阿弥陀如来の救いを知るのです。ですから、葬儀の読経は、亡くなられた方への回向はもちろんですが、見送る側の人々への教えでもあります。
ですから、葬儀で最も大切なのは僧侶によるお説教です。日頃から、気持ちの通じあうお坊さんと知り合いになっておくことを強くおすすめします。
きちんと葬儀をし、初七日から四十九日までの法要、百か日、一周忌、三回忌と法要をするたびに、供養されているのは残された人間の方だと気が付くことでしょう。わだかまりも少しずつ解けてくる可能性が高いのです。
葬儀でけでなく、毎月の月参りもおすすめです。もちろん、形式的にお経を読んで、ハイお布施・・・というような僧侶では、あまり意味がないかもしれませんが、毎月短い間でも、きちんとお話しをしてくれるお坊さんを探してください。毎月一回、仏壇をきれいに掃除して花を用意し、部屋を掃除してお坊さんを迎えるのは気持ちの良いものですよ。
◎今日の写真は慈雲寺のある桶狭間の近くにある有松の町並みです。旧東海道に面した有松の街はまるで江戸時代の風情です。私は30年前に旧東海道を東京から京都まで、全部歩いたことがあります。今、この町の近くに住むことになったのは、なんだか深い縁を感じます。