慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

5月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」5月26日10時より行います。テーマは「御祈祷、お守り、お札とは何か」です。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

永六輔さんの『大往生』から  (その1)

f:id:jiunji:20170802134757j:plain

「最後を看取ってくれる医者と、葬式をキチンとやってくれる坊主や仲間。これは早めに見つけておくことをおすすめします」永六輔著『大往生』より

 

 書棚を整理していたら、永六輔さんが1994年に出版してベストセラーになった『大往生』という本が出てきました。ちょっとのぞいてみようと思ったら、そのまま座り込んで読み続けてしまいました。

 この本は、おそらくご自身のご尊父の 死をきっかけに、「老い」、「病い」、「死」をテーマに書かれたものです。ちょうどこのころから、高齢化社会の到来が本格化し、それに関連した本がたくさん出版され始めた時期に書かれたものです。

 しかし、この本が他と大きく違っているのは(それゆえにベストセラーとなったのでしょうが)、専門家や有名人が上から教えを説くのではなく、「巷に生きる人たち」の声を永さんが集めたものだということです。

 放送作家で、作詞家としても有名な永さんの「集め方のセンス」の良さが、この本を30年以上たった今も新鮮で多くを気づかせてくれるものとしています。 

 この本に集められているたくさんの含蓄ある言葉は、誰が発したものか示されていません。しかし、冒頭にあげた言葉のように、自分の足で歩んで来た大人の言葉ばかりです。特に「葬式をキチンとやってくれる坊主や仲間」というところが心に残ります。「坊主と仲間」です。家族ではなく仲間。この「仲間」には、仲間のような血縁者も含まれるでしょうが、血でつながっているだけの「家族」ではなく、共に生きる「仲間」が大事なのだと思います。

 「坊主」も大事です。葬式を安上がりにするために葬儀場の会員募集を検討する時間があるなら、ぜひ僧侶とのご縁を育てることに心と時間を使ってください。仏教は生きている間に役に立つ教えです。葬儀はその延長上にあり、さらには極楽に往生(往って新たに生きる)するための道なのですから。

◎今日の写真は、インドの国立博物館で見たお釈迦様です。ハンサム!

8月の「満月写経の会」は8月8日です。どなたでもお気軽にご参加ください。

f:id:jiunji:20170802133939p:plain

 慈雲寺の本堂には、いつでも気軽に写経をしていただける用意がしてあります。手ぶらでいらしていただけます。書き終わったものは、弘法様にお供えしてください。その後、ご自分でお守りとして身に着けていただけるように、守り袋も用意しています。

 また、毎月の満月の夜には、皆で集まって『般若心経』を読誦し、その内容を少しずつ学んだあとに、写経をする「満月写経の会」を行っています。どなたでもお気軽にご参加くださいませ。写経は字の上手下手は問題ではありません。

 8月の満月は8月8日です。7時半より読経を始めますが、何時から参加して下さってもかまいません。

 写経には筆ペンを使います。もし、墨をすって、筆で書写したいという方がいらっしゃいましたら、ご自分の道具をお持ちください。

 慈雲寺で行う行事や催しは基本無料ですが、お寺の維持のために御喜捨いただければ、ありがたく存じます。

 

尼僧として出家する前に、まず利他を生き方とする仏教徒に!PART2

f:id:jiunji:20170731224733j:plain

 昨日のブログで、「尼僧として出家したいと考えていらっしゃる方に、まず仏教徒として生きることをお勧めしたい。」と書きました。その続きです。

 仏教徒の生き方は「悪いことをやめる。善いことをする。他の人のためになることを率先して行う」が基本です。自分が自分がというとらわれから離れて、利他に生きることが第一歩なのです。もちろん、私たちは末法に生きる凡夫ですから、簡単そうに聞こえる、この三つの原則を実行するのはなかなか難しいことです。

 とりわけ、今は「本当の自分に出会う」とか「自分探し」とか、自分にこだわることが当然のように言われています。ブログやツイッターなどで、「自分をもっと知って!」と激しくアッピールしている人も少なくありません。

 しかし、そうやって「自分」を追い続けていても苦しくなるだけではないでしょうか?「こんなはずではない。」とか「こんな状態は本当の私ではない。」と苦しむだけなのでは?

 そんなとき、まず「自分」をひとまず置いて、他の人のことを考える、実行するというのはどうでしょう?

 出家は本来、家族やものなど、「自分の」あれこれから離れるためのものです。お釈迦さまは、地位も家族も宮殿からも出てきたのですから・・・

 お釈迦様は対機説法といって、相手の気質や能力、環境などに応じて教えの説き方を変えていました。ですから、仏教にたくさんの宗派があるのは当然のことです。仏教徒として生きることから始めれば、必ず良き師に出会い、ご縁を結ぶことができると思います。

 仏教に触れたいという方のために、慈雲寺では毎月写経の会ややさしい仏教講座を行っています。さまざまな面でのご相談にもできる限り対応させていただきますので、どうぞお気軽にご相談ください。

◎今日の写真は神戸市の長田神社で見た、眼鏡の守り神さま(??)です。なんだか不思議なエネルギーを感じました。

尼僧として出家する前に、まず利他を生き方とする仏教徒に!PART1

f:id:jiunji:20170730201956j:plain

 このブログは慈雲寺の行事のお知らせや、新米住職として出会ったさまざまな出来事などを書いています。でも、もう一つ大事な目的があります。

 それは、尼僧として出家したいと考えている方々に、何かヒントになることを書いていこうというものです。何度か書いたように、今、ほとんどの仏教寺院では、父から子への「家業の継承」のように住職が決まっていきます。家族を持たない尼僧寺院でも、後継者に困って、甥などの血縁者に跡を継いでもらえるように説得するケースが増えています。

 しかし、私は本来、お寺は弟子を育て、その中から最も次世代の住職にふさわしい人が継いでいくものだと思っています。慈雲寺は初代様のご遺言で、永世尼僧寺院ということに決まっているので、私も弟子を育てるのが住職としての大事な役割です。

 とはいえ、庭の雑草取りもきちんとできないダメ尼僧なので、まだ弟子に教えられるようなことは何もありません・・・困った・・・でも、子供を育てることで「親として成長」していくように、私も弟子と一緒に修行していけば、少しは成長できるかも?

 さて、女性が発心して尼僧となっていく道はけして簡単ではありません。家族を持っている男性僧侶のお寺に弟子として入るチャンスは限りなく小さいからです。高野山大学などの仏教系の大学に入り、僧侶として資格を取ることはできるでしょう。しかし、それも簡単ではありません。

 私は尼僧として出家したいと考えていらっしゃる方には、いつでもお話しを聞かせていただきます。お気軽にご相談ください。

 しかし、出家の前に、まず「仏教徒になるのが先だ!」と私は考えています。大乗仏教の教えの道をお釈迦様の生き方に習いながら進んでいくのが仏教徒です。大乗仏教を選んだなら、それは「利他」の生き方を選ぶということです。「自分探し」のためではなく、まず、自分が他の人の為に何ができるのか考え、実行するのが仏教徒です。

 「お前はできているのか?」と聞かれたら、俯くしかないですが・・・・

(PART2に続く)

◎今日の写真は、カナダのブリティッシュコロンビア州とアラスカの国境へ向かう道路です。

 

平等院蓮に出会う

f:id:jiunji:20170728122351j:plain

 先日、ある方にご紹介いただいて、平等院のご住職であられる神居文彰上人にお目にかかることができました。上人は仏教的なターミナルケアの問題に深い造詣をお持ちで、文化財の保護にも数々の先進的な提案をなさっている方です。

 お忙しい日々を送られていらっしゃるでしょうに、境内や宝物館のご案内をいただき、嬉しいやら恐縮するやら・・・・ちょうど、蓮の咲く時期で、平等院の遺跡発掘調査の際に出てきた蓮の種から生まれたという「平等院蓮」も見せていただきました。

 朝早くではなかったので、もう花は開いていましたが、上人がとても嬉しそうに開いたばかりの花の美しさをお話しくださったのが心に深く残りました。

 平等院は、末法の時代に突入したと信じられている11世紀半ばに建てられたもので、経典に説かれた極楽の様子をそのまま再現しようとしたものです。極楽に往生するものは、まず蓮の花の中に生まれるとされていますから、蓮の花越しに鳳凰堂を眺めるのは、まさに極楽を目に前で拝ませていただいているのです。

 蓮を育てるのはなかなかに難しいと聞いています。神居上人が、その一株一株に思いを込めていらっしゃるのが、伝わってきました。これも、末法の時代が続く「今」こそ、仏の教えの大切さを知らせようという思いの深さでしょう。実際に極楽の宮殿や説法を続ける阿弥陀様のお姿を「見る」ことによって、教えがより強く迫ってくるのではと思います。

 浄土系のお寺の荘厳(内部の飾りつけ)は、『阿弥陀経』などに描かれた極楽の様子を再現したものです。丁寧に掃除を怠らずにいることが大切ですね・・・・何事につけ行き届かない自分を蓮が諭してくださったような気がします。

◎今日の写真はインドの国立博物館で見た蓮の壁画です。葉の形が日本のとは違いますね。

矍鑠たる尼僧の姿と信仰に触れて -近藤徹稱上人の法話を拝聴しに京都へ Part2

f:id:jiunji:20170726220707j:plain

  近藤徹稱上人の法話を拝聴しに京都へ出かけたときのお話しの続きです。

 私が僧侶になるための修行を始めたときは、私の属する浄土宗西山派西山浄土宗)には尼僧を養成する道場は無くなっていました。かつてはここに寄宿舎があったという場所には、すでに何も残されておらず、わずかに石の階段だけが残っていました。先輩の尼僧様の一人は今年88歳になられますが、彼女が尼僧道場の最後の修行僧の一人。道場の門を閉めたときの哀しさを時々話してくださいました。

 徹稱上人は、知恩院を総本山とする浄土宗の鎮西派の尼僧道場の最後の道場長だった方です。年々減少している尼僧の現状をどう思っていらっしゃるか、まだ直接伺ってはいませんが、「自分の学んだこと、体感したことは全て次世代に伝えておきたい」という迫力はご法話のあちこちに感じられました。

 他宗派に属する私も穏やかに迎えて下さり、「私から、どんどん学び、吸収していきなさい」という無言の励ましを感じさせて下さいました。

 法話の後は、参加者がお互いの顔を見ながらお話しができるように机を移動させます。お抹茶と京都らしい涼し気な和菓子をいただいた後は、徹稱上人への質問の時間です。介護の悩みを語る方を励まし、生きることに積極的な姿勢を示されたのが強く印象に残りました。

 8月は、この「仏教女性の会」はお休みですが、9月にはまた再開されるとのことなので、また上人にお目にかかれるのを楽しみにしています。

◎今日の写真は、インドのニューデリーにある国立博物館で見た壁画です。いったいこの動物は何かしら?牛にしては子供が変ですよね?太った鹿???

8月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は8月20日(日曜)です。テーマは「お数珠って何でしょう?」

f:id:jiunji:20170723160300j:plain

 今日は7月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」の日でした。曇り空で、気温も少しだけ低かったのですが、やはりむし暑い!それでも30名近くの方が来て下さって「お盆の意義や作法」について、一緒に学んで下さいました。

 この講座の準備をすることは、私にとっていつも楽しみであり、新たな驚きや「ああ!そうだったのか」と改めて学ばせていただける素晴らしい機会です。まだまだ浅薄な知識ではありますが、聴いて下さる方がいることは、本当にありがたいことです。

 さて来月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、8月20日に行います。テーマは「お数珠ってなんでしょう?」です。お寺参りやお墓参りなどに、お数珠は欠かせないものですが、いったい何のためのものなのでしょう。お数珠の歴史や意味、お数珠を大切にする功徳などについて学んでみましょう。

 数珠をテーマに選んだのは、先日、御本尊の裏の棚から、大きな数珠が見つかったためです。どうやら、慈雲寺でも大きな数珠をお念仏しながら回していく、大数珠繰りを行っていたようです。せっかく見つかったお数珠ですので、講座が終わってから、みんなで数珠繰りをしてみませんか?

 今日の写真は、あるお寺で数珠繰りをしている様子です。皆な嬉しそうですね!慈雲寺の数珠なこんなに大きくありませんが・・・・きっと楽しいですよ。

 「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」はどなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加くださいませ。

 次回は8月20日、10時より行います。