慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

12月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は12月23日(日)10時より行います。テーマは「戒名」です。戒名の本来の意味、理想的な授かり方をご一緒に学んでみましょう。

明けましておめでとうございます!

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 明けましておめでとうございます。

  今、2018年元旦の深夜1時過ぎです。遠くから、まだ鐘をついている音が聞こえてきます。慈雲寺には釣り鐘がないのですが、12名の方々が集まって下さり、静かに除夜から新年の修正会の勤行をいたしました。法要後、黒豆茶を飲みながら、皆さんと少しお話しをしました。

 慈雲寺に赴任して4回目の新年です。御一緒に新年を祝ってくださる方がいて下さる喜びは格別ですね。

 今年も慈雲寺は、ご先祖の御供養はもちろんのことですが、生きているうちに仏教の教え、阿弥陀様の御慈悲の光に触れていただけるように、お手伝いさせていただきたいと願っています。仏教は人々が心穏やかに、苦しみ少なく生きるための教えです。

 心が苦しい時は、どうか慈雲寺にいらしてください。日中はいつも本堂を開けていますので、阿弥陀様とゆったりと向き合って祈ることができます。庫裏にお声をかけていただければ、御一緒にお茶でもいかがですか?

 なお、1月2日の夜7時半より、満月写経の会をいたします。今年の書初めは写経をなさってみてはいかがですか?どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加下さい。

◎今日の写真は、大府市で毎年2月中旬に行われる盆梅展で見た紅白の梅です。

 

慈雲寺で静かな年越しをなさいませんか・・・

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 いつも手回しが悪く、バタバタしてばかりの私です・・・落ち着いて平常心で過ごすのが僧侶のありかたなのに・・・

 というわけで、今年もギリギリまで落ち着きません。ついさっきようやく鏡餅をお供えして、これでお正月の準備は終わりです。

 今夜は23時45分から、年越しの法要と新年の修正会をいたします。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にお参りくださいませ。

 たくさんの方々がお参りにいらっしゃる社寺で初詣も楽しいものですが、大晦日はやはり静かに一年を振り返るのも心に残る年越しになるでしょう。

 慈雲寺のような小さなお寺がおすすめです。大晦日から新年にかけては、本堂をずっと開けておきますので、静かな本堂でゆっくりと仏様と向かい合ってください。

 写経のできる用意もしておきますので、ご遠慮なく「初写経」を体験なさって下さい。なお、1月2日の夜7時半からは、毎月満月の夜に行っている「満月写経の会」をいたします。今年の書初めは写経をなさってはいかがでしょう。こちらも、どなたでも歓迎いたします。

◎今日の写真は、慈雲寺の山門です。この門は通常の寺院の山門ではなく、尾張家の御典医だった相羽家から移築されたもので、格式の高い武家門です。

 

小さなお寺で静かに新年を迎えませんか?

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 2017年も、今日と明日だけになりました。初詣はどこへお参りに行かれますか?名古屋でしたら、熱田神宮あたりでしょうか?

 有名な神社やお寺で、たくさんの参詣人の波にもまれながらお参りをするのも、お正月らしい華やかな感じで良いですね。

 しかし、静かな寺社でゆっくりと新しい年への思いを祈ってみるのはどうでしょう。

お寺では、一年も終わりの深夜から法要を始め、12時を過ぎたらすぐに修正会という新年の勤行をいたします。今年一年に積み重ねた煩悩の苦しみや、数々の罪を素直に懺悔し、仏様の御慈悲によって清めていただき、あらたな一年をスタートするための法要です。

 慈雲寺は、名古屋市緑区桶狭間上の山725にある小さなお寺です。

 大晦日の23時45分から法要を始めます。どなたでもお気軽にご参加ください。

 法要が終わった後も、本堂を開けておきますので、新年を静かに迎えたい方は、どうぞ本堂でゆっくり阿弥陀様と向かい合ってお念仏をなさってください。

 写経のできる用意もいたしてありますので、新しい年の第一歩を写経から始めるのもおすすめです。

 また、お正月2日は満月です。慈雲寺では毎月、満月の夜に写経の会をしています。新年の書初めにおいでになりませんか?こちらも、どなたでも、お気軽にご参加ください。

 慈雲寺の本堂には十分な暖房施設がありませんので、どうぞ、暖かな服装でおいでください。本堂の中でもコートはどうぞそのままで・・・

エルサレムに「トランプ駅」?! 聖地について思ったこと

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 エルサレムに建設予定の駅に、トランプ大統領の名前をつけようとイスラエル政府が検討中というニュースを今朝のニュースで見ました。米国政府がエルサレムイスラエルの首都として認め、米国大使館を移動しようとしていることを讃えるため(?)でしょうか?

 欧米では駅や空港に顕彰のために名前を付けるのはよくあることです。パリのドゴール空港やニューヨークのケネディ空港のように・・・しかし、この時点でトランプ駅とは・・・問題をさらに深めるだけの、ひたすら愚かな行為です。

 国連の安保理で全ての理事国が反対したのに、アメリカは拒否権を行使。今、ここで火種を大きくするのは、アメリカにとってどんな利益があるのでしょう?利益がなければ、どこから見ても愚かな行動はしないでしょうし・・・いや、単にトランプ氏が愚かで無知なだけ???

 ところで、そのニュースで気になったのは、「ユダヤ教の聖地エルサレム」と紹介されていたことです。エルサレムは、確かにユダヤ教の聖地ですが、キリスト教徒にとっても、イスラム教徒にとっても、他に代えがたい聖地なのです。エルサレムの旧市街には、この三つの宗教に関連した聖なる場所がたくさんあり、全体が世界遺産に指定されていますが、この世界遺産がどの国に属しているかは無記名です。

 聖地は「その場所に宗教的、歴史的、文化的な特別な意味がある」ところです。「その場所」というのが大事なので、誰かの都合や政治的なもので動かして良いわけがありません。しかし、 日本では、その「聖地」に対するこだわりが緩やかなのではないでしょうか?明治時代初めには、国の政治的な意向で、神社の統合が勝手に行われ、その土地と深く結びついてきた名も知れぬ神々の多くが廃棄されたり、別の神社の境内に写されたりしました。神々は、「その場」に鎮まっていることが大事なので、人間の都合で勝手に動かすのは恐れ多いことだと思うのですが・・・

 それはさておき、エルサレムは三つの宗教にとって非常に大事な聖地ですから、どれかの宗教が独占しようとすれば、紛争の火種になるのは当たり前です。一方、この聖地を大切にすることで、穏やかな共存の基盤を作ることもできるかもしれません。

 う~ん・・・一神教は、自分の神以外は絶対に認めないというのが根本姿勢だから難しいかなぁ。そうだとしても、今回のトランプ氏の動きは「聖地」への人々の思いを全く無視していると思います。

 さてさて、もちろん寺院の境内も聖地です。お掃除を頑張らなくてはいけませんね。

◎今日の写真は昨年大府市の盆梅展で見た梅です。慈雲寺の盆梅も蕾が少し膨らんできています。

 

ご縁のあった方への「御供養」の勧め Part 3 ーカナダの葬儀

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 「家族葬」という名の密葬が増えて、友人や恩人への感謝やお別れを告げる機会がすくなくなっているというお話しをしてきました。3回目は、カナダで経験した葬儀のことをお話ししましょう。

 カナダは、たくさんの文化的な背景をもった人々の暮らす国ですから、葬儀の形式もいろいろです。

 しかし、キリスト教会での一般的な葬儀ですと、牧師さんによる聖書の朗読、お説教、賛美歌などに続き、一人か二人の人が追悼の言葉を述べます。その後、参列者の中から、次々と前に出て、自分と故人の関係や思い出について短いスピーチをします。

 いろいろな人の思い出話によって、故人の人生が立体的な思い出として人々の心に残るのです。親としての故人、友人としての故人、夫としての故人、先輩としての故人・・・などなど、人はいろいろな表情を持っているものですから、家族も知らないようなエピソードが披露されると、みんなとても慰められるようです。

 葬儀が終わると、教会の裏庭などで、「故人の人生を寿ぐお茶会」が行われます。「惜しむ」ではなく「喜ぶ、讃える」というところがポイントです。また、立式のお茶会なので、皆があちこちに移動して思い出話に花が咲くのです。

 料理やお菓子は参加者の持ち寄りです。

 日本でも、こんな風な「偲ぶ会」が増えても良いのではないでしょうか?慈雲寺では、いろいろな状況に対応できるようにご相談にのらせていただきます。ぜひお声がけください。

電話:052-621-4045

◎今日のバラはカナダの州立ブリティッシュコロンビア大学で見たものです。

ご縁の有った方への「御供養」の勧め Part2

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 前回のPart1では、親族関係でなくても、友人や恩人、お仲間で亡くなった方の御供養をする会のお勧めをいたしました。

 家族葬が増えてくると、親族以外の人々が故人にお別れやお礼をする機会は少なくなってしまいがちです。とりわけ、故人が高齢の場合、「もうお付き合いしている人もほとんどいない」とか「友人のほとんどが亡くなっている」などと、家族が勝手に推測してしまうことが多いようです。

 直接のお付き合いや行き来は少なくなっても、「一言お礼が言いたかった」、「心を込めてお見送りしたかった」という人は案外多いかもしれません。家族の気が付かない、故人の友人、知人もいるかもしれません。

 家族だけで静かに見送りたいという気持ちもわからないではありませんが、友人、知人、趣味の仲間、ご近所の人々に見送られるというのは、大事なことではないでしょうか?

 もし、ご家族が「密葬」を強くお望みなら、Part1でお話ししたような、「偲ぶ会」をおすすめしたいと思います。大げさな「儀式」にする必要はありません。皆で集まって、菩提を御供養し、あとは茶菓で故人の思い出話をする・・・友達や恩人を送る哀しみを共有することで、また新たなご縁が広がるかもしれません。これも、故人への良い供養になることでしょう。

◎今日の写真もカナダのバンクーバーにあるクィーン・エリザベス公園で見た花壇です。

ご縁の有った方への「御供養」の勧め Part1

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 先日、Aさんという方から、「自分の親戚や親でない方の法事をすることができますか?」というご相談を受けました。

 Aさんは、あるスポーツの元プロ選手でした。若い時に指導を受けたコーチを一生の恩人として大切にしてきたそうです。その恩人が亡くなった時、葬儀には参列することができたものの、その後の法事に招かれはしませんでした。

 しかし、Aさんにしてみると、恩返しが十分にできないうちにコーチが亡くなったので、せめて祥月命日の時ぐらい僧侶に供養を頼みたいというのです。

 亡くなられた方の偲んで報恩の御供養をしたいという気持ちはとても大切なものです。肉親や親類でなければ御供養をしてはいけないなどということは、もちろんありません。お気持ちがあるなら、どのようなご縁の方でも、慈雲寺で御供養させていただきます。

 できれば、御供養して差し上げたい方の戒名(又は法名など)や御命日などがわかると良いのですが、知らない場合は俗名のままでも大丈夫です。

 一周忌や三回忌などの、一般の法事と同じようになさっても良いですし、祥月命日でも良いでしょう。しかし、「御供養させていただきたい!」という気持ちが起きた時なら、いつでも良いと思います。

 お一人でいらしても良いですし、お友達や、仕事仲間、趣味のお仲間、弟子たちなど、亡くなられた方にご縁の有った方にお声がけしてみてはいかがでしょう。

 慈雲寺でお茶やお菓子をご用意しますので、法要後、皆さんで思い出話をなさるのも良いでしょう。

 亡くなられた方のことを語り続けるということは、その方が灯した命の火が燃え続けるということでもあります。

 慈雲寺では、さまざまなご希望に対応いたしますので、ぜひご相談ください。

◎今日の写真は、カナダのバンクーバーにあるクィーン・エリザベス公園です。