慈雲寺の属する西山浄土宗の宗祖は、日本で絶対他力の浄土教を確立した「法然上人」です。このブログで法然上人のことに触れるとき、必ず「法然房源空上人(法然上人)」という風に書いています。「なぜそうするのか?」というご質問をいただきましたので、ここで少し詳しく書いてみます。
歴史の教科書でも、仏教系の本の中でも「法然上人」という言葉が通常使われますが、本来は「源空上人」という風に表現するのが妥当と思われます。
法然は房号。つまり住んでいた場所の名前です。軒とか庵、院などと同じく、法然房という場所に住まいしていたということを表します。
源空は法諱、つまり僧侶としての名前です。普通は師となった僧侶からつけてもらうもので、その師僧の僧名の一部を受け継ぐことが多いのです。「法然上人」の場合は、比叡山に上がったとき最初の師となった源光と、黒谷に移ったときに師事した叡空の両方から一字ずつ取って「源空」としたという説が一般的です。
ですから、本来「法然上人」をお呼びするときは「源空上人」と表記するのが自然ですし、ご本人も文章や手紙に署名するときには「源空」としています。
その「源空上人」に直接入門して僧侶となり、上人が亡くなるまで22年間にわたっておそば近くで学び、上人の最も円熟した思想を受け継いだのが慈雲寺の属する浄土宗西山派(西山浄土宗)の流祖「善慧房證空上人」です。證空上人は源空上人の名から「空」をもらって付けられた僧名です。
私のようなヘッポコ尼僧でも、源空上人から證空上人へと伝えられた教えの末流ですから、恥ずかしながら「空」の付く名前をいただいています。翺空(こうくう)といいます。この字は、鳥が羽はバタバタさせながら飛んでいる様子を表しています。バタバタというところが私にぴったり?!ちなみに羽を伸ばして滑空しているのは「翔」です。
歴史教科書や仏教書などでは、普通、僧侶の名前は法諱で表記されることが多いのに、なぜ源空上人だけが、房号の法然を使っているのか興味がわきました。少し調べてみることにしましょう。
昔は偉い人の名前を直接呼ぶのは失礼という考え方もありましたから、住んでいる場所などで呼ぶこともありました。善慧房證空上人の場合は、京都の西山にある三鈷寺を活動拠点としていたので、「西山の上人」とか「西山上人」とか呼ばれていたのです。それにしても「法然上人」というのは不思議です。
◎今日の写真は去年の9月28日にカナダ・メープル街道のロレンシャン高原で撮影しました。今年はまだ暑い日が続き、紅葉は遅いスタートと聞いています。