7月になりました。もう一年の半分が過ぎたわけです。早い、早い・・・なんだかボンヤリしているだけの私なのに不思議な気分です。
さて、前回のブログにお花を布施していただいたお話しを書きましたが、今日は月参りに伺ったお宅で、両手で抱えきれないほどのゴージャスは百合の花をいただきました。今日は、花を供養していただいたというより、私の方からおねだりしてしまったかも??
毎月の命日に僧侶を家に呼んで読経をしてもらう「月参り」は、日本各地でさまざまなやり方があります。全く月参りの習慣の無い地域もあるし、お寺によっては「月参りをしません」というお寺もあります。
また、「月参りをしません」というお寺に代わって、「村の庵主さま」が宗派に関係なく月参りに出かけるのが習慣という地域もあります。慈雲寺はまさにその「村の庵主さま」のポジション。いろいろなお宅にうかがいますが、そのほとんどは別のお寺の檀家さんです。
私はこの「村の庵主さま」というポジション(なんかしっくりくる日本語がみつかりません。立場・・・役割・・・かなぁ?)がなんだか好きです。
さて、今朝もお月参りに出かけると、そのお宅の庭にはビックリするほどたくさんの百合が咲いていました。真っ青な夏空に向かって何十もの花が開いているのは、なかなかの迫力でした。
「きれいですねぇ!」とつい大騒ぎをしてしまったら、「もう盛りを過ぎていますが、何本か切りましょうか?」と言っていただきました。う~~ん・・・口には出さなかったけれど、心の声が顔に出ちゃったかな?
というわけで、両手いっぱいの百合を抱えて帰山。さっそく大きな青磁の花瓶に入れて活けました。客殿の床の間が一瞬で華やかになりました。
お寺は花がたくさんあるほど良い場所です。仏様にも、お地蔵さまにも、お墓にもたっぷり新鮮な花をお供えできたらと思うのですが、手元不如意の時はなかなかそうもいきません。今日のような贅沢はとてもありがたいし、嬉しいものです。
◎今日の写真はカナダ西部のリルエット族の人々の伝統的な冬の住居を再現したものです。中に入ると不思議に心が落ち着きます。