慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

怨憎会苦

f:id:jiunji:20161106222256j:plain

 土日の朝7時半から英会話の朝起き会をしています。今日は二人、新しい生徒が来てくれました。このごろは若いお母さんやお父さんが一緒に参加して下さるのが嬉しいことです。

 僧侶になって、嬉しいことはたくさんありますが、その一つが「新しいご縁が毎日増えてくる」ということです。慈雲寺は古い意味での「檀家」のないお寺です。しかし、歴代の住職たちが少しずつ築いてきたご縁がたくさんあります。それが、このお寺の宝物。私がありがたく受け取らせていただいたものです。この宝を増やし、耕し、より豊かで深い、そしてなにより生き生きと紡いでいくことが大事なことです。

 その責任はなかなか重く、「どうすれば良いだろう・・・」と悩むところでもあります。でも、皆さまのおかげで何とか日々を進んでいるのです。

 「怨憎会苦」というのは、仏教が人間の生きる苦しみとして挙げた「四苦八苦」の一つです。意味は、恨みや憎しみを持つ人と会わなければならないという苦しみです。

 人が生きているうちに無数に結ばれる縁は、いつも自分の都合の良いものばかりではありません。

 でも、縁は一方的に結ばれるわけではありません。なぜ、出会いが苦しみとなったのかという原因をじっくり考えてみましょう。憎しみや憎悪も一方的に生まれてくるわけでもありません。相手を責めたり、相手の変化を期待するのをやめて、一度、自分の「憎しみ」をいったん手放してみてはどうでしょう?

 けして簡単ではありませんが、人を変えるより、自分が変わるのが解決の早道ですね。「我慢」をするのではありません。我慢はかえって執着を強めてしまいます。「こんなに我慢しているのだから・・・」と怒りが深まってしまいがちです。

 いったん立ち止まって、固く握った手を開いてみませんか・・・

◎今日の写真は宇治の平等院です。極楽の世界を地上に再現したとされる素晴らしい寺院です。