自分の家が先祖代々「旦那」となっている菩提寺があって、その宗派の教えが自分の心に穏やかにしみ込んでいて、今のご住職を尊敬できるし、親しみも感じる・・・・こんな風にお寺とお付き合いすることのできる人は、本当に幸せだと思います。
先祖代々のお墓を守り、仏壇が暮らしに溶け込んでいて、お寺の行事に参加したり、お手伝いしたりするのも楽しめるのも嬉しいことですね。
しかし、今はふるさとを離れ、菩提寺とのご縁も途切れがちになっている方もたくさんおられることでしょう。自分の家の「お宗旨」も、「あれ?なんだっけ?」と思う人も少なくないようです。
でも、近しい人の死などや、人生の悩みや苦しみをきっかけに、自分とお寺との縁に気づいたり、考え直したりする方もまた少なくありません。
先日、慈雲寺にお墓がある(しかし、菩提寺はご近所の別のお寺)Kさんが、お友達を連れて訪ねてきて下さいました。お友達のTさんは、二年前にご主人に先立たれています。亡夫の遺言は、「葬儀はしても良いが、法事は不要。お骨は散骨にして、お墓は不要」とのことだったそうです。Tさんは、その言葉にしたがって一周忌は行わなかったのですが、何だか気持ちがモヤモヤして晴れない・・・・今年は三回忌に当たるのだけれど、何もしないのことが気になって仕方がなかったのだそうです。
菩提寺は遠い場所だし、コロナ禍のこともあるので行きにくい。近くのお寺に相談に行っても、「檀家さん以外の法事は受けない」と言われたそうです。
そのことを久しぶりに偶然会った友人のKさんに話してみると、Kさんは「ご近所に慈雲寺という尼寺があるのだけれど、そこの庵主さんだったら、相談に乗ってくれるかもしれない。」と、慈雲寺のことを話して下さったそうです。
こんな風に新しいご縁ができるのは、とても嬉しいことです。慈雲寺は、さまざまな方の「行きつけのお寺」になりたいと願っていますから・・・(つづく)
◎今日の写真は岡崎城の石垣です。