慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

5月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」5月26日10時より行います。テーマは「御祈祷、お守り、お札とは何か」です。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

数十年ぶりに論文を書く!?Part 1

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 軽率に「ハイ」と応えてしまったばかりに、少々追いつめられています。僧侶は自分の属する宗門の教えについてや仏教全般についての勉学を常に怠ってはならないというのが基本です。それは僧侶としての修行の大切な一部だからです。しかし、怠け者の私は興味はもっても集中して勉強することがなかなかできません。ましてや、自分が学んだことをまとめて発表するなんて!

 二年に一度、慈雲寺の属する浄土宗西山派西山浄土宗)では「学階審査」というものが行われます。宗門の教えやそれに関連した研究について論文を書き、審査を受けて資格を得るものです。学階には何段階かあるのですが、最初のステップがかなりレベルの高いものを要求されるので(仏教学関係で博士号を授与されたものは、論文審査なしに最初のステップある「得業」を授与されます。)なかなか、この審査に応募するものがいません。

 そこで、得業の前段階のレベルである「助業」という制度を設けることになったのです。学階にチャレンジする人を増やすためのすそ野を広げようというのです。そのため、「とりあえず、隨麗さんやってみないか?」と言われ、安請け合いをしてしまったというわけです。

 文章を書くのを仕事にしてから30年以上たちますが、学術論文のようなものを書くのは大学院を出て久しぶりです。私は比較宗教史が専門でしたから、歴史的アプローチしか知りませんので、宗門の歴史に関連したもので論文を書こうとしています。

 しかし!資料も関連した論文もほぼ皆無!いきなり何もない荒野に歩き出してしまったような気がします。私の宗門には大学がないので、本山にある資料も限られているのが痛い!・・・というわけで、泣きべその日々を過ごしています。

 今年の夏は暑く、長いものになりそうです。

◎今日の写真はカナダのトロントにある水族館の写真です。暑い時は冷房のきいた水族館がいいですよね!

銀細工師が銀食器を磨くように心を磨く

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  私は僧侶としては恥ずかしいほどの怠け者ですが、銀食器磨きは大好きです。うっすらと曇りの出た食器を磨き粉を付けてキュッキュッと磨くと、アッと言う間に輝きを取り戻します。結果がとても明らかなのが良いですね。日本に戻ってからは、銀食器を使う用事もないですが、代わりに仏器を磨いています。残念ながら、仏器は銀製品のようにピカピカになるものは少ないので、ちょっと満足度が低いですが・・・

 法句経というお経には「聡明な人は、順次に少しずつ、その都度、その都度、自分の汚れを除くことだ。銀細工師が銀の汚れを除くように」というお釈迦さまのお言葉が書かれています。

 銀食器の汚れや曇りは、知らず知らずのうちに広がっています。家の中の汚れも同じです。銀細工師が小まめに作品を磨き上げるように、心の汚れも小まめに落として磨き上げることが大事だという教えです。自室の汚れは心の中の状況を表しているとか・・・散らかり放題になってしまうと片付けるのも大変ですが、こまめに掃除をすればそれが習慣になって、部屋はいつもきれいになるのです。

 う~ん・・・・銀食器でも細かい細工がぎっしり施されているものは、なかなか磨くのが大変です。シンプルなデザインのものを選べば、きれいに保つのも容易になるでしょう。部屋も同じですね。物がたくさんある部屋を片付けるのは大変です。以前流行った「断捨離」ではないですが、自分の周辺からいらないものを除いて行く方が、ずっと易しいかもしれませんね。

◎今日の写真は、カナダ第一の都市、トロントダウンタウンオンタリオ湖の湖上から眺めたところです。

怨みは怨みによって鎮まらない

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「怨みは怨みによって鎮まらない。怨みを忘れて、はじめて怨みは鎮まる」

 この言葉は、第二次世界大戦後の講和条約の場で、スリランカが日本に対する賠償請求権を放棄した時に、スリランカ代表が引用した言葉です。この言葉は、『法句経』という経典の中でお釈迦さまが説かれた教えです。

 最近連日テロ事件や銃撃事件、クーデターなどのニュースが新聞の一面に大きく取り上げられています。私は、「テロ」という言葉を使えば、それ以上の暴力で報復することが正義だと言わんばかりの状況はとても悲しいものだと思っています。

 仏教徒はあらゆる暴力を否定しますから、たとえ厳しい抑圧を跳ね返す手段だとしても「テロ」は許されるものではありません。しかし、「テロの制裁」とか「テロを押さえつける」との理由で、一般人がたくさんいるコミュニティを爆撃したりする報復は、何も解決しないでしょう。

 怨みを怨みで押さえつけようとしても鎮まることは決してありません。さらなる怒りを掻き立て、怨みを深めるだけなのです。「テロへの戦い」などという言葉は「怨みを怨みで報復する」ということに他ならないでしょう。

 怨みや憎しみを捨て、怨みの連鎖を断ち切ることによって、穏やかで楽しい暮らしをしようとするのが仏教徒の生き方なのです。

◎今日の写真は涼しそうな富士山。名古屋地方は今日梅雨明けが宣言されました。夏本番の開幕にちょっと涼んでください。

蝉が鳴き始めました

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 いつもは鳥の声で目が覚めるのですが、今日は蝉の鳴き声で起こされました。ここ数日、急に羽化が始まったようです。いよいよ夏本番ですね。

 私が長く住んでいたカナダのバンクーバーには蝉はいませんでした。バンクーバーは暖流が通る海沿いに広がっている街なので、カナダの中では最も温暖な都市です。しかし、緯度でいうと樺太と同じぐらいですから、蝉が生息するには寒すぎるということなのでしょうか?

 ですから、蝉の鳴き声は私にとっては「日本の夏」の象徴のようなものです。地中で長い間過ごし、羽化して一週間ほどの命というのも、なんか哀れで風情がありますね。

でも、全ての蝉が上手に羽化できるわけではないようです。先ほどお寺の門のところを掃いていたら、蝉の抜け殻を見つけました。「あらあら・・・抜け殻だ。今朝鳴いていた蝉かしら?」と思ったら、すぐそばに蝉が横たわっていました。羽化したばかりのような透明の羽の一枚が真ん中から折れていて、どうやら飛べずに地面で苦しんでいるようでした。まだ、かすかに足を動かしています。どうすることもできそうにないので、せめてもと思い、日陰に置いてやりました。

 この蝉は命を十分に生かすことができずに死んでいくことでしょう。命の儚さを思わないではいられません。私たちも羽を広げられずにもがいているような気持ちになるときがありますからね・・・・

 人は蝉よりは長く生きることができますが、命の危うさ、儚さは同じです。しかし、仏の教えを聞くことができるのは人間にだけ許された特別な状況です。ですからこそ、この命を大事にして、仏様の教えにご縁を結んでください。お寺はそのお手伝いをさせていただく場です。

 8月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は8月21日に行います。テーマは「お地蔵さまって誰?」です。身近にあるお地蔵様がどのような菩薩さまなのか、ご一緒に学んでみましょう。

◎今日の写真は、1400年前から続く伊勢街道(横大路)の八木札の辻に残された旧家の建物です。昔は伊勢街道を旅する人の宿屋だったとか。

 

お盆の意味を改めて考えてみましょう。   「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」のご案内と慈雲寺へのアクセス

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 お盆は日本人が古代から受け継いできた独特の霊魂観に仏教や中国の儒教道教などの教えが影響を与え合って生まれた、伝統的な宗教行事です。祖先と今生きている家族が集い、命のつながりとご縁を喜びあう、とても大切な慣習だと思います。

 7月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、17日の日曜日10時より行います。テーマは「お盆の迎え方」。お盆の宗教的背景や意味を改めてご一緒に考えてみましょう。

 慈雲寺は宗派にかかわらず、どなたでもお気軽にお参りいただけるお寺です。この講座

◎公共交通での慈雲寺へのアクセス

 申し訳ありませんが、慈雲寺には十分な駐車場がありません。なるべく公共交通を使っておいでくださいませ。

 名鉄有松駅前から、「有松12番 有松町口無池行き 地蔵池経由」に乗ってください。日曜の9時台は二番乗り場から9時07分と36分に発車します。これらのバスに乗り、郷前(ごうまえ)の停留所でお降りください。そのまま道なりに進むと郷前の交差点に出ます。角に鍼灸院があり、その右手の細い坂道を上がると慈雲寺の屋根が見えてきます。

   また、時間はかかりますが、地下鉄の鳴子駅から出ている「鳴子13番」のバスも郷前に停まります。

●栄のバスターミナルからは森の里団地行きのバスが一時間に一本出ています。この場合は、郷前の停留所から道を戻って郷前の交差点に行ってください。日曜は8時50分発があります。所要時間は約40分

●JRの共和駅からタクシーで5分。市バスはありません。「郷前の交差点近くの慈雲寺」とおっしゃってください。慈雲寺を知らないタクシーの運転手もいますので、その場合は郷前の交差点の鍼灸院で降りてください。鍼灸院からお寺の屋根が見えます。

 

◎今日の写真はカナダ西海岸の先住民の伝統的な意匠を現代風にアレンジしたドレスです。

かくしゃく長寿を目指しましょう!

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 二か月前から、「旅行読売」という旅行の専門誌で旅エッセイの連載をさせていただいています。テーマは関西地区の「ご利益で有名な社寺」。浄土宗の教えでは、あまり現世利益を語らないのですが、どんなご利益を求めて人々がお参りに来るのかにはとても興味があります。

 来月号(8月初旬発売の9月号)では、奈良の「大和長寿道」を取り上げました。この巡拝路は桜井市安倍文殊院橿原市のおふさ観音を結んでいて、この二つのお寺にお参りすると「ぼけ封じ」にご利益があるとか。

 藤原京の跡を歩く4キロほどの道や、香久山、耳成山畝傍山大和三山を見渡す、なかなか気持ちの良い散策路でした。

 ここでご利益をいただける「長寿」とは、智慧と体の健康の両方がそろっていることがポイントです。ただ長く生きるだけが「長寿」ではなく、精神も体も「かくしゃく」としていることです。

 金子満雄をいう脳外科の先生のお書きになった『生き方のツケがボケに出る』という本によれば「高齢まで脳を生き生きと保ち、かくしゃくと生きることは本人の努力と心がけ次第では、かなり実現性がありそう」なのだそうです。

 大和長寿道のご利益はここに力点が置かれていますね。長寿のコツは人との交流を保ち、新しいものに興味を持ち、美しいものを愛する気持ちが大事なようです。お寺は、心の平安を保ち、智慧を深め、慈愛を育むのにぴったりの場所ですね。ぜひ慈雲寺にもお参りにいらしてください。できれば歩いていらっしゃるのがおすすめです。慈雲寺の本堂にはいつでも冷たい麦茶をご用意しています。

◎今日の写真はウズベキスタンで見た素朴な織物です。なんだか絣のような感じもしますね。

東本願寺の名古屋別院でお勉強会

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 名古屋には浄土真宗のお寺がたくさんありますが、その中心の一つが東本願寺の名古屋別院です。ここの会館ではさまざまな講義や法話会などが催されています。

 ご存じのように、浄土真宗を開かれたのは親鸞聖人です。親鸞聖人は、日本に念仏の教えを確立された法然源空上人(法然上人)の高弟の一人。法然上人の教えに深く帰依した方です。

 慈雲寺が属する浄土宗西山派西山浄土宗)の流祖、善慧房證空上人(西山上人)も法然上人の弟子ですから、親鸞聖人とは兄弟弟子ということになります。同じ師僧に教えを受けて、それをどのように解釈していたのか、非常に興味深いところです。

 それで、時々名古屋別院で親鸞聖人の教えについての講義があるときは聴講させてもらいに出かけます。證空上人の教えとは大きく違うところもあるし、法然上人から共通して受けついでいるとこともあります。違う解釈を聞くと、自分の宗派の教えと比較することで、疑問点が明らかになってくるような気がします。

 今回のテーマは「法蔵菩薩はいつ阿弥陀如来になったのか?」というものでした。法蔵菩薩は十刧という遥か昔に全ての誓願を成就して仏となったとシンプルに考えてはいけないのでしょうか?

 「法蔵菩薩阿弥陀仏の化身」と講師の瀧先生はおっしゃいました。う~~ん・・・じゃ、阿弥陀仏はいつ阿弥陀仏になられたのか?阿弥陀仏の方が法蔵菩薩よりも先に存在してたってことですか?

 暑くてゆっくり考える気分になれないまま悩んでいます。

 時にはこんな風に悩むのも悪くありませんが、夏は考え事には向いてない気がします。

◎今日の写真は、カナダのモントリオールの旧市街の町並みです。