慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

6月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、6月16日(日)10時より行います。テーマは聖徳太子と仏教です。父の日に、日本仏教の父とも言える聖徳太子についてご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

座禅の警策は不要?!

座禅と言えば警策でビシリ!というイメージですが・・・・

 慈雲寺では仏教関係の新聞や雑誌を定期購読しています。勉強会や展覧会のお知らせが第一のお目当てですが、他宗派で問題となっている事を知るのも、とても興味深いので、毎回せっせと読み込んでいます。

 5月号の『月刊住職』に面白い記事が出ていました。座禅というと、警策とよばれる長い棒を持った僧侶が、座禅をしている人たちの間を歩き、眠くなっていたり、姿勢が崩れている人をビシリ!と打つというイメージなのですが、実は今、この警策を行わないお寺が増えているのだそうです。

 私が禅宗のことについて何も知らないので、いろいろ驚くことばかり。第一に警策を使い始めたのは江戸時代のことらしい。しかも、派手な音を立ててビシリと打つのが当たり前になったのは、明治以降の富国強兵策の軍事訓練の影響ではないかと言う僧侶までいました。

 道元さまが中国で修行をしていたときの師僧は、修行僧が眠っていると履き物で殴って目覚めさせたそうで、道元さまはその行為に感心していたと聞いたことがあるので、警策道元さまから始まっているのかと思い込んでました!

 修行僧の間では、時に警策をかくれみのに暴力的ないじめが行われているという話も聞いたことがありますが、本来は眠気をはらって修行を励ますものでしょう。

 

 臨済宗円覚寺はの大本山円覚寺では、釈迦は他者に手をあげることを厳しく戒め、警策のようなものは使わなかったとし、暴力肯定に繋がる危険性さえ含んでいるとして、警策の使用を一切やめてしまったそうだ。

 

 暴力に繋がるものは、もともとの動機がどうであれ、濫用に繋がる危険性をはらんでいるという認識は、やはり「濫用されていた現実」があったからなのでしょう。

 

 浄土系の宗派では「修行」の意味合いがずいぶん違いますが、声を荒げての指導や、時には手が出るということも無きにしも非ず。「厳しい修行」を良しとる雰囲気は浄土系でもあるのですが、それと「暴力性」との違いが微妙なところです。

 いろいろと考えさせられる記事でした。