慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

12月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、12月15日(日)10時より行います。テーマは、「『一枚起請文』に学ぶ法然上人の教え」です。どなたでも歓迎いたします。」お気軽にご参加ください。

遺骨を納めに父の故郷へ Part 1

山の斜面にむりやり設置したような大きな墓石

 父は中国山脈の山並みに囲まれた東城という小さな町で生まれました。かつては砂鉄の産出で豊かな土地で、一万石の城下町だったそうですが、今はすっかりさびれてしまいました。

 父は長男でしたが、倉敷にある旧制中学に入学するために故郷を出て以来、この町に戻ることはありませんでした。江戸時代から今の東京都内に住んでいた一族の出である母と結婚したことからも、故郷に戻りたいという気持ちは薄かったのではないかと思います。

 祖父は30代で事故で亡くなっていたので、祖母やお墓の世話をしていたのは父の末弟です。そのことを父は「申し訳ない」という気持ちが強かったようで、父の名義だった土地を叔父名義に書き換えたり、祖母の遺産を放棄したりしていました。私と弟は、父の気持ちを理解はできましたが、正直言うと「そこまでしなくても・・・」という気持ちが少しありました。なんともあさましいことですね。「相続」が「争続」になるというのは、このような気持ちからなのだと我ながら恥ずかしいです。

 

 祖母が亡くなった時、父はカナダの私の家に滞在中でした。飛んで帰ることもできたでしょうが、なぜか父は帰国しませんでした。当時私はイタリアで取材中だったので、祖母の死をすぐには知らず、父の帰国を説得することもできませんでした。

 私は家に戻ると、父は「ばあさんが死んだよ。」と言って泣いていました。父が私の前で手放しで泣いたのは初めてでした。「すぐに飛行機予約するね」という私を父はとめました。葬儀には間に合わないからという理由ですが、何かそれ以上のものがあるようでした。父が帰国したら、喪主のことでもめるだろうというのが理由の一つだったかもしれません。

 葬儀には私の弟夫婦が参列。父はその後、一度も東城に戻ることはありませんでした。(続く)