慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

7月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は7月26日10時よりおこないます。テーマは「『往生要集』からの飛翔:法然」です。源信が『往生要集』で念仏を勧めてから100年後、法然は大きく念仏の意味を変えたと言われています。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

異文化、異宗教文化との出会い Part 2

  日本は今まで、仏教伝来、南蛮文化、開国、第二次大戦後の占領など、異文化、異宗教文化と出会うことが何度かありました。しかし、日本人は独特の融和力で異文化と「共存」してきました。

 今、私たちは生まれてすぐ神社にお宮参りに行き、結婚式をキリスト教風の教会で挙げ、ハロウィーンやイースターを楽しみ、御朱印を集め、パワースポットを訪ね、お寺で葬儀を行うという慣習の中で生きています。これだけ宗教的な慣習を受け入れていながら、自分は「無宗教」だと答える人も少なくありません。

 私はこの「混沌とした宗教的慣習」も宗教文化だと思っています。

 私は浄土宗西山派(西山浄土宗)の僧侶ですから、私の信仰基盤は法然上人から証空上人に伝えられた浄土教です。しかし、「神仏習合」こそ日本人の自然な宗教観だと思っています。

 自然の中、生活のあらゆるところに神仏を見て、神仏と共に生きるのが私たちの文化だと感じるからです。

 しかし、今、私たちは「融和性の低い宗教」を信じる人々と共存していく現実に直面しています。

 

 Part 1でお話したように、世界のさまざまな地域からやってくる移民を受け入れるということは、多様な文化、多様な宗教文化と出会うことです。

 今、私たちは多様な文化背景、信仰背景を持つ人々を共存していかなければなりません。その人たちの労働力、技術力なしには社会の運営が難しくなりつつあるからです。

 私は労働力を増強するなら、女性やシニアの働きやすさを強化すべきだし、結婚して子供を育てやすくする環境を整えるべきだと思います。しかし、今の政府のやり方をみていると、安易に外国から人を受け入れることで解決していこうとしているように見えます。

 私はカナダで40年間、「移民」として暮らしてきました。カナダは建国以来350年以上移民を受け入れてきたのに、現在、けして移民政策が十分に機能しているとはおもえません。人種差別の問題、宗教差別の問題は解決できていないからです。

 日本もこれから多くの異文化、異宗教文化との邂逅問題に直面していくでしょう。いや、すでに多くの摩擦がおきていると思います。(つづく)