慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

お盆についての考え方

 今日、8月16日はお盆の最終日、送り火をたき、茄子で作った牛に乗って、ご先祖さまにゆっくりとお浄土に帰っていただこうとする日です。

 15日までは、どこのお寺でもお坊さんたちは大忙しで棚経に回っています。しかし、法然源空上人(法然上人)が確立したお念仏の教えでは、極楽へ迎え取られた人は、どこへでも、いつでも自由に行き来できる神通力がつくので、お盆でなければ娑婆に帰って来られないというわけではありません。私たちの思いのあるところ、必ずご先祖も寄り添って下さるのです。

 私は、お盆というのは、仏教が日本に入ってくる遥か以前から私たちの祖先が抱いていた「先祖」という考え方と深く結びついているのではと思います。私たちの祖先は、遥か彼方にいるのではなく、山の向こうや、海の沖など、案外近くにいて、私たちが心をこめて迎えれば、私たちを訪問してくれるという思いです。

 法然上人の高弟、証空上人を流祖とする浄土宗西山派西山浄土宗)では、お盆の行事をしますが、これは、一年に一度、子孫が集まって祖先を偲び、まるで生きて戻ってきているかのように「一緒に過ごす」期間だと考えています。

 この期間は、お仏飯も一日三度供えますし、できれば陰膳を作って、一緒のテーブルで食事をするのがおすすめです。親族が集まったら、ご先祖のエピソード、思い出をたくさん語ってください。ご先祖の思い出を共有することで、ご先祖の「像」が立体的に皆の心に残っていきます。

 自分の存在が、多くの先祖から受け継いだものであることを知っていることは、生きることの大きな力になるはずです。

 お盆とは、行き帰りの交通ラッシュの思い出だけでない、とても豊かな宗教的な習わしだと思います。