慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

5月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」5月26日10時より行います。テーマは「御祈祷、お守り、お札とは何か」です。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

僧侶の資質の第一は「感受性」?

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 明日(あ、もう今日になってしまいました)は、本山で布教師の研修会があります。泊まり込みで丸一日、じっくりと教学から布教のコツ、実演などを学びます。

 慈雲寺の属する浄土宗西山派西山浄土宗)では、ここ数年、「僧侶の資質の向上」ということに特に力を入れるようになりました。今回の研修会は毎年行われているのですが、布教師として活動するためには、この研修会参加は「義務」とまでは言われませんが、かなり強く「奨励」されています。

 私は、カナダに住んでいたときも、日本に一時帰国したら、多くの時間を本山で居候していましたから、本山へ行くのは大好き。研修会も楽しみです。

 ところで、「僧侶の資質」とは何でしょう?僧侶が特に力を入れて磨かなければならない資質のはなんでしょう?

 私は自分が字が下手なので、塔婆などを書いたりするのがとても苦手です。字が上手(流麗な字という意味ではなく、バランスの良い、きちんとした字が書けること)であるのは僧侶の実務にはとても役立ちます。

 しかし、友人の僧侶は「感受性だな・・・」と言いました。人の哀しみに寄り添える、人の喜びを一緒に喜べる、人の苦しみをなんとかやわらげようとする・・・僧侶はさまざまな人のさまざまな感情を受け止め、状況を把握し、思いを理解することが大切です。確かに「感受性が豊か」であることは欠かすことのできない資質でしょう。

 仏教は体験の宗教です。日々の暮らしの経験を通して仏の教えを学び、仏のお慈悲に出会うことが仏教者の生き方ですね。

 日々の体験をおろそかにせず、一つ、一つ丁寧に向き合っていくことから始めなければならないでしょう。

 もちろん習字の練習も大切ですが・・・・

◎今日の写真は橿原神宮の拝殿の廊下です。柱の並びかたがとても美しいと思いました。

「終活」の第一歩は葬儀屋さんではなく、お寺へ

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 就職活動から始まった言葉だと思うのですが、このごろ色々なものに「活」をつけて語られています。「婚活」とか「妊活」・・・今、「にんかつ」を文字変換したら一発で「妊活」と変換されました。すでに確立された言葉???

 婚活、妊活と続いたら、どうやら最後は「終活」のようです。自分の命がやがて終わることを見据えて生きることは宗教の基本です。仏教では特に重要視されています。命に限りがあるからこそ、今をどう生きるかを示すのが仏の教えだからです。

 しかし、今、「終活」という言葉で語られることの多くは、「お葬式をいかに安くあげるか」とか、「葬式費用を残すための生命保険」、「お墓をどうするか」といったようなことばかり目につきます。「終活」が葬儀屋さんや保険会社の営業ツールになっているかのようです。

 自分の人生の「終わり」について準備がしたいなら、まずはお寺にいらしていただきたいものです。「終わり」についての準備なら、いつ始めても早過すぎないし、遅過ぎもしません。あと50年以上生きる人でも、今日が最後の一日でも、仏の教えに目覚めることが大切だからです。

 仏様の教え、阿弥陀様のお慈悲と願いに気づかせてもらうことが、より苦しみ少なく生きる第一歩です。

 信頼できる僧侶に出会うことが、本当の終活の出発点だと思います。私も、そういう僧侶になりたいと願って日々を歩みたいと思います。

◎今日の写真は園城寺で見たお堂の彩色です。新緑とのコントラストが本当に綺麗でした。

 

 

父の「偲ぶ会」を終えて・・・ブログ更新を再開します。

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 たった今、東京から戻ってきました。今日は父の供養のために、近しい親戚が集まって父を「偲ぶ会」をしたのです。

 以前のブログにも書きましたように、父は30年も前に献体を決めていて、亡くなってすぐ慈恵医大の方が引き取って下さいました。遺骨が戻ってくるのは数年後のことになりそうです。

 しかし、父が亡くなる前夜、私は一人で父の病室で夜を明かしました。そのとき、宝蔵菩薩が阿弥陀仏になられたいわれについて、ゆっくりと父に語り、そのまま剃髪の儀式をし、戒を授ける儀式もしました。仏の弟子になって、お浄土へ旅立っていかれるように準備をしたのです。父は耳も聞こえていたし、意識も明確だったようですから、私が何をしようとしているのか分かったと思います。

 慈雲寺が属する浄土宗西山派西山浄土宗)の教えは、徹底した絶対他力の教えですから、いったん阿弥陀仏のお慈悲について聞かせてもらったら、後は全て阿弥陀様におまかせです。私たちからは何も用意する必要はありません。

 極端に言えば、「極楽なんてあるのか?」と疑う気持ちのままでさえ、阿弥陀さまは極楽に迎え取ってくださるのです。

 ですから、今日の「偲ぶ会」は、哀しみの中にも、穏やかな雰囲気で、皆がそれぞれ父との思い出を語ってくれて、楽しい会になりました。何十年ぶりかで会う従妹たちと話すのも不思議な親しみがすぐ戻ってきました。これも、父がくれたプレゼントでしょう。

 これをきっかけに、この「おろおろ日記」も再開いたします。これまでは、自分の気持ちになかなか向き合えず、自分の「日々の暮らし」をブログに書くのは、どうも難しかったのです。でも、明日からは、その難しさやためらいも含めて、またブログを書いていこうと思います。

◎今日の写真は石山寺の経蔵です。巨大な一切経の棚を見上げると、コツコツと少しでも修行を続けていかなければ・・・と、思いました。

来月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は6月18日(日曜)に行います。

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 今日は(あ、もう夜中を過ぎたので昨日ですね)、5月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」を行いました。40名近くの方がおいで下さり、仏舎利の歴史や信仰についてお話しさせていただきました。名古屋へ赴任して3年以上になりましたが、仏舎利を祀っている日泰寺にまだお参りしていないのが、とても残念な気持ちになりました。暑くならないうちにぜひ参拝させていただきたいと思っています。

 さて、来月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、「悔いを残さないお別れ」と言うテーマでお話しさせていただこうと思っています。私事ですが、今月中旬、私は父がお浄土へ旅立つのを見送りました。臨終から今まで、日々、さまざまな思いが胸に積み重なっていきます。娘として、また僧侶として、この経験をどう受け止めるのか、まだ難しい状況です。

 仏教は「体験」の宗教です。生老病死という人間の命の現実とどう向き合うかが基本です。大切な人を見送るときの「心得」を仏教はどう教えているのか、御一緒に学んでいきましょう。

◎今日の写真は、カナダとアラスカの国境近くの山並みの夏景色です。

5月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」のお知らせと慈雲寺へのアクセス

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 5月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は5月28日(日曜)10時より行います。

 テーマは「仏舎利とその信仰」です。仏舎利とは、お釈迦様のご遺骨のことです。お釈迦様が亡くなられた後、その御遺骨は細かく分骨され、さまざまな場所に運ばれました。仏舎利を祀った塔は、日本の五重塔やお塔婆の原型でもあります。

 仏舎利に対する篤い信仰は、やがて「仏舎利のようなもの」を大切にする信仰的伝統を育むようになりました。例えば翡翠石英の小さな粒を仏舎利の代替物として礼拝する慣習は、アジア各地で見ることができます。

 名古屋には、タイの国王から贈られた「仏舎利」を祀るため、日本の伝統仏教の宗派が協力して建てた日泰寺というお寺もあります。

 実は、最近、慈雲寺にも「仏舎利」が祀られていたことがわかりました。小さなガラスの容器に入っています。28日には、特別に御開帳し、近くで拝んでいただけますので、どうぞご縁を結んでください。

 講座にはどなたでもお気軽にご参加ください。

◎慈雲寺への公共交通によるアクセスのご案内
 申し訳ありませんが、慈雲寺には十分な駐車場がありません。なるべく公共交通を使っておいでくださいませ。
 名鉄有松駅前から、「有松12番 有松町口無池行き 地蔵池経由」に乗ってください。日曜の9時台は二番乗り場から9時07分と36分に発車します。これらのバスに乗り、郷前(ごうまえ)の停留所でお降りください。そのまま道なりに進むと郷前の交差点に出ます。角に鍼灸院があり、その右手の細い坂道を上がると慈雲寺の屋根が見えてきます。
   また、時間はかかりますが、地下鉄の鳴子北駅から出ている「鳴子13番」のバスも郷前に停まります。日曜は8時45分にバスが出ます。
●栄のバスターミナルからは森の里団地行きのバスが一時間に一本出ています。この場合は、郷前の停留所から道を戻って郷前の交差点に行ってください。日曜は8時50分発があります。所要時間は約40分
●JRの大高駅から緑循環バスの名鉄有松行で郷前に行くことができます。日曜は8時44分と9時44分に出発します。9時台のバスですと10時の開始時間には少し遅れますが、あわてずにおいでください。
●また、同じ緑循環バスの名鉄有松行は南大高駅東にも停車します。9時9分発です。
●JRの共和駅からタクシーで5分。市バスはありません。「郷前の交差点近くの慈雲寺」とおっしゃってください。慈雲寺を知らないタクシーの運転手もいますので、その場合は郷前の交差点の鍼灸院で降りてください。鍼灸院からお寺の屋根が見えます

◎今日の写真は、車でアクセスできる北米最大級の氷河の一つ、サーモン氷河です。アラスカとカナダの国境近くにあります。

父を看取る

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 しばらく、このブログを更新していなかったので、「体調でも悪いのですか?」というメールを友人からいただきました。御心配をおかけしてすみません。

 実は、先週、父が亡くなりました。入院していたのは2週間ほどで、ほぼ最後まで意識があり、私たちの声も聞こえているようでした。喉に絡んだ痰を吸引するときに痛がった他は、痛みもないようで、父が望んだように生涯を終えることができました。

 父は30年前に献体を決めており、「葬儀もしない」という遺言が残されていました。

父は第二次世界大戦の時に、若い下級将校として戦場に行きました。「自分の命令で戦って死んだ人がいる。その人たちをジャングルに置いてきたのに、自分だけ葬式をしてもらうわけにはいかない。」と言っていました。父は最後まで自分を許さなかったのだと思います。

 また、父は歴史が好きで、家族で寺院や神社を訪ねることが多かったのですが、けして手を合わせようとはしませんでした。戦場で「神も仏もあるものか」という体験をしたからかもしれません。

 しかし、私が僧侶になることを決めたときは反対はしませんでした。ここに父の複雑な心境があると思います。

 私は僧侶で、説教師としての道を歩き始めています。自分の父にお念仏の教えを伝えられないことに深い哀しみと敗北感がありました。しかし、父がなくなる前夜、私は一人で父のそばで夜を明かすことができました。その時、耳元で阿弥陀様のお慈悲と救いの願いについて、ゆっくりと話しをすることができました。父の耳に届いたと思いたいです・・・・

 父の死で、私はさまざまなことを体験しました。この体験を十分に消化し、理解するまでには、まだまだ時間がかかりそうです。しばらく、ブログの更新が間遠になるかもしれませんが、必ず続けますので、またご訪問くださいませ。

◎今日の写真はカナダのBC州北部にあるベア氷河です。

生きる目的は思いやり - 利他という生き方

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今日のお釈迦さまのお言葉

 善いことをした人は、この世で喜び 来世で喜び 二つの世で喜ぶ

 自分の行いの清らかなことを見て 彼は喜び 彼は楽しむ (法句経より)

 

 ダライラマ猊下の本を読んでいると、しばしば出てくるのが「思いやり」という言葉です。猊下は「他の人に思いやりを持って接する、思いやりを持って行動することこそが、生きる目的だ。」とまでおっしゃっています。

 自分に優しくしてくれる人、自分に何らかの利益をもたらす人に思いやりを持つことは難しくないでしょう。しかし、ダライラマ猊下は「あなたの『敵』にも思いやりを持て」と教えてくださっています。これこそ、大乗仏教の根本的な姿勢である「利他」の生き方です。

 しかし、難しいですね・・・

 「善いおこない」というのは、思いやりの心から生まれてくる行動です。何が「善い行い」なのでしょう・・・ありがたいことに、私たち仏教徒には「お釈迦様」という素晴らしいお手本があります。お釈迦様の行動について説かれたお経を読むのは楽しいものです。

 今日とりあげた『法句経』には、お釈迦様がやさしげな表現でさまざまな「善い行い」について説いてくださっています。

 もちろん、末法の世に生きる凡夫の私たちは、お釈迦様がお示しになった道をなかなか歩むことはできませんが、少しでも「善い行い」を心がけていきましょう。それが、生きる喜び、生きる目的になっていくのです。

◎今日の写真はカナダの西海岸で見た野草です。