慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

5月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」5月26日10時より行います。テーマは「御祈祷、お守り、お札とは何か」です。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

出会いの場所が変われば気持ちも変わる?!

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 上の写真は昨日、大阪市立東洋陶磁美術館で見た、国宝の「油滴天目茶碗」です。この美術館は、前々から行ってみたかったのですが、たまたま近くで取材があり、それが予定よりかなり早く終わったので立ち寄ってみました。

 まず驚いたのは、ここは全館(数点の例外を除いて)写真撮影OK。それは、とてもありがたいのですが、スマホで写真を撮るとシャッター音が異様に大きく響いてゲッソリ・・・あ、それは今日の話題ではありません。

 この美術館の所蔵品で最も有名なのが、この「油滴天目」です。実は、この茶碗を見たのはこれで二度目。昨年10月、国立京都博物館が日本全国の美術館、博物館から集めた国宝の展覧会で出会っていました。

 このごろ、美術館や博物館に行くと、まず最初に展覧会の図録を買い、それに色々書き込みながら展示品を見ています。京都博物館の「国宝」展のように、図録がずっしり重いと持って歩くのも一苦労だし、混雑しているところで大きな図録にメモをするのは迷惑かもしれませんが・・・

  さて、その「油滴天目」ですが、「国宝」展の時の私のメモには、「息が止まるかと思うほど美しかった」と書いてあります。入館に2時間近く待ち、館内も人でごったがえしていましたが、「この茶碗に出会っただけで十分だ」と心から思ったのです。

 しかし、昨日、東洋陶磁美術館で同じ「油滴天目」を見た時は、「おお!」とは一瞬思ったものの、昨年の感動には程遠いものでした。

 なぜでしょう・・・展示の仕方、ライトの当て方、ライトの色・・・そして周辺の雰囲気などなど・・・そして何より、二度目だったこと・・・不思議ですね。鑑賞の環境としては大阪の方が人も少なく、展示品により近くでゆったり眺められたのに・・・

 出会いの場所が変われば、感想も大きく変わって当然なのでしょうか?出会ったときの私自身の精神状態、身体的な状態も変わってくるでしょうね。

 それからもう一つ・・・写真自由というのも考慮すべき点かも。写真に撮れると思うと、集中して心に残しておこうという気持ちが薄くなって、鑑賞に気合が入らない??

 ああ・・・でも、やっぱり油滴天目いいなぁ。お抹茶の緑が添えられるとどんな風に変わるのでしょう?いったいどんな人が、この茶碗でお茶を喫していたのかなぁ・・

 

6月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は6月17日(日)10時より行います。テーマは「寺院と檀家の関係とは?」です。

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 今日(5月27日)は、5月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」でした。気温はすっかり夏!という感じでしたが、本堂の正面だけでなく、北側と南側の扉を開けると、心地よい風が吹き抜けていきました。30名近くの方がいらしてくださり、「終活」というものの実体や必要性などについて、御一緒に考えていただきました。

 結論として、「人は生きたようにしか死ねない」という仏教の考え方からすると、葬儀の予約をしたり、納骨堂を生前購入したりする時間があったら、自分の生き方、ご縁の育て方をしっかり考えないと、本末転倒になるとお話ししました。

 さて、本来の「終活」は、「いかに生きるか」という「今」の問題だと思います。信頼できる僧侶に出会い、信仰を得て、仏教徒として穏やかな利他の暮らしを始めることをぜひお勧めしたい。

 寺院は善き信仰の師や友に出会える場です。仏の教えはお寺でいただき、実生活に生かしていくものだからです。

 本来なら、自分の家の菩提寺と先祖代々のご縁を結び、子供の時から親しんだ僧侶から信仰の導きを得て、安心(あんじん)に満ちた暮らしをしていくというのが、菩提寺と檀家の関係なはずです。

 しかし、今は、自分の菩提寺がどこにあるのか、何宗なのか、全く知らないという人も少なくありません。親の葬儀で初めて、自分と菩提寺の関係を知ったという場合も多いでしょう。

 寺院と檀家の関係はこれからどう変化していくのでしょう?いわゆる檀家制度の歴史から、これからの寺院と檀家の在り方について、御一緒に考えてみたいと思います。

 どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

 慈雲寺で行われる宗教行事は全て無料です。仏様への御供養や寺院の維持のため、お気持ちを御喜捨いただければ幸いです。

天橋立でみたシャクナゲです。私が住んでいたカナダの西海岸にも、シャクナゲがたくさん咲いていました。ちょっとホームシック。

葬儀会館の思惑に踊らされる「終活」ブーム(??)

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 私は藤の花が大好き。日本へ戻ってきたら、藤の季節がとても楽しみでした。しかし、中部地方は今年、藤の開花がとても早く、すっかり予定が狂って「藤の花見」を満喫することができませんでした。自然の動きは人の都合通りにはいきませんね。

 人間の命も同じです。年齢の多い人から順番にお浄土へ旅立てるわけではありません。「終活」が必要だとしたら、それは何歳でもです。私たちは生まれたその瞬間から、必ず死に向かっており、それがいつかは誰にも分らないからです。

 週末が近づくと、新聞には必ず葬儀会館の広告が入るようになりました。

 「自分らしい葬儀にしたい。

  残される家族に迷惑をかけたくない。

 そう考える人が増えています。」

 なんとも、口当たりの良い言葉ですね。「そうか、皆な葬儀の手配をして、しっかり終活してるんだ。自分も乗り遅れてはいけない。」とつい思ってしまいそうですね。

 しかし、葬儀を少しでも安くあげるために互助会に入ることが「終活」なのでしょうか?できるだけ多くの顧客を抑えておきたい、葬儀会館の「青田刈り」の思惑に踊らされてはいませんか?

 本当の終活とはなんでしょう。「あの人の葬儀に参列するなんて迷惑」とか、「葬儀は負担」と思われてしまうような人の人生とは何なのでしょう?「後生」のことは何も考えなくても良いのですか?

 本当の終活とは何か?葬儀やお墓の手配だけが大切なことなのか?御一緒に考えてみませんか?

 5月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」のテーマは「終活」についてです。5月27日(日)10時より、慈雲寺の本堂で行います。どなたでもお気軽にご参加ください。

◎慈雲寺への交通アクセス

 申し訳ありませんが、慈雲寺には十分な駐車場がありません。なるべく公共交通を使っておいでくださいませ。
 名鉄有松駅前から、「有松12番 有松町口無池行き 地蔵池経由」に乗ってください。日曜の9時台は二番乗り場から9時07分と36分に発車します。これらのバスに乗り、郷前(ごうまえ)の停留所でお降りください。そのまま道なりに進むと郷前の交差点に出ます。角に鍼灸院があり、その右手の細い坂道を上がると慈雲寺の屋根が見えてきます。
   また、時間はかかりますが、地下鉄の鳴子北駅から出ている「鳴子13番」のバスも郷前に停まります。日曜は8時45分にバスが出ます。
●地下鉄徳重駅からも郷前に停まるバスがあります。
●栄のバスターミナルからは森の里団地行きのバスが一時間に一本出ています。この場合は、郷前の停留所から道を戻って郷前の交差点に行ってください。日曜は8時50分発があります。所要時間は約40分
●JRの大高駅から緑循環バスの名鉄有松行で郷前に行くことができます。日曜は8時44分と9時44分に出発します。9時台のバスですと10時の開始時間には少し遅れますが、あわてずにおいでください。
●また、同じ緑循環バスの名鉄有松行は南大高駅東にも停車します。9時9分発です。
●JRの共和駅からタクシーで5分。市バスはありません。

◎今日の写真は天橋立で今年の4月下旬に見た藤です。

5月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」のお知らせと慈雲寺へのアクセス

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 先週は慈雲寺の属する浄土宗西山派西山浄土宗)の総本山光明寺で行われていた「曼荼羅相承」という修行のため、本山の山中に籠っていました。皆さまのおかげで無事(膝はだいぶダメージを受けましたが・・・)帰山することができました。本当にありがとうございました。曼荼羅相承の経験については、また詳しくブログに書かせていただきたいと思います。

 さて、慈雲寺では、毎月一回、身近な話題を取り上げて、仏教というものの見方、考え方、仏教徒として生きる生き方などを御一緒に学ぶ会をいたしております。

 今月は5月27日(日)10時より行います。

 テーマは、最近よく耳にする「終活」について考えてみたいと思っています。

 何が本当の終活なのか?本当に終活は必要なのか?

 今はなんだか、葬儀屋さんの販売ツールに使われているような気がしないでもありません。自分の人生の締めくくりに大切なことは何なのか、御一緒に考えてみましょう。

◎慈雲寺への交通アクセス

 申し訳ありませんが、慈雲寺には十分な駐車場がありません。なるべく公共交通を使っておいでくださいませ。
 名鉄有松駅前から、「有松12番 有松町口無池行き 地蔵池経由」に乗ってください。日曜の9時台は二番乗り場から9時07分と36分に発車します。これらのバスに乗り、郷前(ごうまえ)の停留所でお降りください。そのまま道なりに進むと郷前の交差点に出ます。角に鍼灸院があり、その右手の細い坂道を上がると慈雲寺の屋根が見えてきます。
   また、時間はかかりますが、地下鉄の鳴子北駅から出ている「鳴子13番」のバスも郷前に停まります。日曜は8時45分にバスが出ます。

●地下鉄徳重駅からも郷前に停まるバスがあります。
●栄のバスターミナルからは森の里団地行きのバスが一時間に一本出ています。この場合は、郷前の停留所から道を戻って郷前の交差点に行ってください。日曜は8時50分発があります。所要時間は約40分
●JRの大高駅から緑循環バスの名鉄有松行で郷前に行くことができます。日曜は8時44分と9時44分に出発します。9時台のバスですと10時の開始時間には少し遅れますが、あわてずにおいでください。
●また、同じ緑循環バスの名鉄有松行は南大高駅東にも停車します。9時9分発です。
●JRの共和駅からタクシーで5分。市バスはありません。

「曼荼羅相承」のため、しばらく本山に籠ります

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 当麻曼荼羅は、奈良の当麻寺に伝わっている曼荼羅です。浄土変相図の一つですが、当麻寺に伝わっているものは、単に『観無量寿経』に説かれた極楽の様子を表しているのではなく、中国で浄土教を大成した善導大師がこの経典を解釈した『観経疏』という書物に沿って描かれているのです。

 法然源空上人(法然上人)の高弟、證空上人(西山上人)は、この当麻曼荼羅の縮小した写しをたくさん作り、各地の寺院に奉納しました。以来、西山派の僧侶たちは、證空の教えに従い、この曼荼羅の絵解きを通して、阿弥陀仏の救いを人々に説いてきたのです。

 曼荼羅ですから、描かれているもののすべてが、象徴的な意味があるのです。それを教えていただき、相承していくのが「曼荼羅相承」です。10年に一度ぐらいしか行われないので、多くの僧侶が本山に集まります。

 今回は、わたくしも参加して良いとのお許しを本山からいただけたので、今夜から京都の西山に籠ります。インターネットとは無縁の日々になりますので、しばらくはブログの更新もできなくなります。

 住職はなるべくお寺を空けるべきではありませんが、大事な修行ですので、お許しくださいませ。

 慈雲寺にはお留守番をしてくださる方がいますので、ご用件や連絡先などのメモを残していただければ、帰山しだい、ご連絡させていただきます。

◎今日の写真は、「当麻曼荼羅」の写しの一つです。

 

自分の言葉で、自分の意見を言える力

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 文科省の前事務次官、前川喜平さんが名古屋の公立中学で行った授業について、文科省が名古屋教育委員会に異例の問い合わせをした事件に、私は深い関心を持ってきました。幸い、私が購読している中日新聞はこの件を詳しく報道してきました。文科省からの質問に対する、名古屋市教育委員会の回答も全文掲載。とても興味深いものでした。その後も、関連記事が幾つか出ていましたが、先日、前川氏を招いた中学校の校長先生のインタビューが出ていました。

 この上井靖さんは、三月末で定年退職なさったので、正確には「前校長」です。退職したから、お話しできるようになったのかもしれませんね。このインタビューの中で、上井さんは「当時、市教委が毅然とした対応をしたと感じ、その姿勢に勇気づけられた。」とありました。実は私も文科省への市教委の回答を読んで、かなりホッとしました。

 上井さんのインタビューで一番印象的だったのは、事件が表面化した後、上井さんは生徒たちに「取材になったら正しいと思ったことを堂々と話せばいい。」と伝えたということでした。自分で考え、自分の意見を自分の言葉で言えることの大切さを教えてもらった生徒たちは、とても幸せだと思います。前川氏が伝えたという「生涯学び続ける力を身に着ける」というメッセージも、生徒たちの人生に大きな力になるはずです。

 このブログに何度も書きましたが、母国語の能力を伸ばし、語彙を豊かにし、自分の意見を言える力をつけることが、何よりも大切だと思っています。母国語は文化であり、自己を形成する基本だからです。外国語はあくまでも道具。道具を上手に使いこなせるかどうかは、母国語による自己形成ができているかどうかにかかっています。

 ですから、小学校で英会話などを教える時間があったら、もっと国語をしっかりやるべきです。自分の意見を述べる時間、討論のやりかたを学ぶ時間を増やすべきでしょう。自分の考えのない人が、いくら外国語を習っても豊かなコミュニケーションができるわけがありません。

 前川氏の授業が、名古屋市にもたらした影響は、これからも長く続きそうです。

◎今日の写真はインドのタージマハールで見た飾り彫刻です。

あらためて『西遊記』を読んでみる

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 先日、古本屋の100円本コーナーをうろうろしていたら、『西遊記』というタイトルが目に入ってきました。『西遊記』は、岩波文庫の全10冊!から漫画まで、さまざまなバージョンを読んできました。孫悟空や従者の大活躍はもちろんですが、三蔵法師さまの大ファン。実際の三蔵法師玄奘シルクロードの旅を想像すると、本当に心が躍ります。

 シルクロードの取材に行くたびに、「玄奘がここも通った」という場所で、ぼんやりと三蔵法師孫悟空たちのことを考えて、ワクワクしていました。

 さて、今回見つけた本は、なんと平岩弓枝さんが翻訳(というのかな?翻案?)したものでした。平岩さんのバージョンがあることは知りませんでした。どうやら4冊になっているようですが、その古本屋さんには一巻しかありませんでした。

 電車の中で読み始めたら、まあ!おもしろい。特に、三蔵法師孫悟空と出会う前のエピローグの部分がとても興味深く、しかも流れがすいすい頭に入ってきます。岩波版だど、この辺りはちょっと進み方が遅くて、覚えにくい名前もたくさん出てくるし、目がページの上を滑っている感じでした。

 三蔵法師孫悟空の出会いが、『西遊記』の最初の山場。あんまりさっさと読み進めてしまうのが惜しい気がします。

 少し前に入手していた『三蔵法師の道』という写真や地図がたっぷり入っている本を横に置きながら、三蔵法師孫悟空たちの旅と、実際の玄奘の旅を想像しつつ読んでいきたいと思います。