慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

5月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」5月26日10時より行います。テーマは「御祈祷、お守り、お札とは何か」です。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

「感情が動かなくなれば、忘れることも増える」ー 記憶と感情

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 このごろは圧倒的に少数派になってしまいましたが、私は電車の中で本を読むのが大好きです。揺れる車内で読むので、あまり細かい字だったり、難しい内容のものは向いていません。気持ちが楽しくなったり、ゆったりしたりする本がさらに良い。

 と、いうわけで持って行く本を選ぶのも外出の楽しみの一つです。昨日は、解剖学者の養老孟司さんとイラストレーターの南伸坊さんの対談本『超老人の壁』を持って出ました。有名な絵画を題材にしたり、遺体の運び出し方に言及したり、お二人の対話のテーマはさまざまですが、どれも知的な遊び心いっぱいです。

 その中で養老先生が老人の物忘れについて言及したのが目に留まりました。

 「年寄は体力もないし、感情を動かすと疲れるでしょう?記憶は感情と結びついてるんで、感情が動かなくなれば、忘れることも増えます。」

 電車の中なのに、思わず「おお!」と声が出てしまいました。単に記憶力が落ちてくるのではなく、関心がなくなると忘れる・・・当然といえば当然ですね。

 喜怒哀楽の心が豊かで、美しいものを愛し、知的好奇心を元気に働かせていけば・・・関心がなければ忘れるって、ほんと。

 しかし、リタイヤして、豊かな老後を生きている方は、学校や会社の時代のように、無理やり関心のないことまで記憶する必要はないわけですから、関心がないことを忘れても、別に気にしなくても良いのでは?

 その代わり、美しいもの、優しい感情、穏やかな思いなどに関心を持ち、新しい情報と結び付けていけばよいのでは?例えば、本や新聞は知的刺激がいっぱい。「仕事に必要」とか「試験に出る」とかはもう考えなくても良いのですから、本当に自分の好きなことに集中して、たっぷり感情を動かして記憶していくことができるわけです。

 おお、なんだか楽しくなってきました。

◎今日の写真はインドのタージマハールで見た大理石の象眼細工です。

お通夜の法話こそ、僧侶の「一大事」

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 先日、あるお通夜に知人として参列しました。どの宗派の葬儀でも同じだと思うのですが、お通夜の時は、読経の後で僧侶が短い法話(説教)をします。知人を悼む気持ちがとりわけ強かったので、どのような御法話をいただけるのかと、期待しながら読経が終わるのを待っていました。

 すると、読経を終えて参列者の方を向いた僧侶の口から出た最初の言葉は「はい」でした。まるで「はい、一丁上がり!」という感じの「はい」・・・・そして「通夜式」と本来夜を通して行われる通夜との違いについて、ごく簡単に述べ、また「はい」と言いながら退席なさいました。

 「はい」というのが口癖なのでしょうが・・・・

 あまりに軽い内容に、正直がっかりしました。

 通夜は、亡くなった方の身近な人にとっては深い哀しみの時ですし、たとえ義理で参列したような人にとっても、人の命、「生老病死」という人間の現実を直視する大切な機会です。こんな時にこそ、僧侶は哀しみを少しでもやわらげ、命の大切さを気づいてもらうヒントとなる法話を心掛けるべきでしょう。

 葬儀は布教の機会というのは間違いだと思いますが、「あのお坊さんに送ってもらって良かった」と思ってもらえるかどうかは、お経の長さではなく、僧侶の人柄、宗教者のしての姿勢にかかっていると思うのです。

 短い法話でも、僧侶にとっては一大事と覚悟して、しっかり準備すべきでしょう。もちろん、これは自戒。僧侶としての日々の精進が大切ですね。

◎今日の写真はインドのタージマハールです。

信仰の友を送る

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 先日、Hさんの葬儀に参列させていただきました。Hさんは、「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」を聴きに来てくださったり、満月写経の会に参加して下さったりしていた方です。数年前から闘病生活をなさっていたのですが、最後までけして希望を捨てず、常に前向きで、闘病の心境をブログに書かれたりしていらっしゃいました。

 Hさんは禅宗のお寺の檀家さんでしたが、私にとっては宗派とは関係なく、同じ「仏教」を信じる信仰の友でした。このブログにも、何回かコメントを書いて下さり、その度に嬉しく、励まされました。Hさんの「命」への向き合い方には、いつも感銘を受けていたのです。

 Hさんは、50代後半だったので、「惜しい」とか「残念」と誰もが思われることでしょうが、Hさんの人生はとても充実したもので、濃密な時間を過ごしてきた方のようにお見受けしました。

 通夜の参列者は式場がいっぱいになるほどで、お仕事関係と思われる方の多くが本当に悲しそうにしていらしたのが印象的でした。

 信仰の友を送るのは哀しいものですが、Hさんが残して下さったものは消えてしまうわけではありません。大切に心の中に残し、そこから育てていくものを大事にしたいと思いながら式場を後にしました。

◎今日の写真はカナダのブリティッシュコロンビア州北部で見た氷河です。

弘法大師のお言葉

弘法大師のお言葉

「病なきときは すなわち薬なし。障りあるときは 即ち教えあり。

 妙薬は病を悲しんで興り、仏法は障りをあわれんで 顕わる。

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 5月6日(旧暦の3月21日)は弘法大師が深い瞑想に入られた御正当日です。祥月命日というべきでしょうが、真言宗の教えでは、弘法大師は亡くなったのではなく、今も高野山奥の院で、生身のまま瞑想に入られているとしています。

 上にあげた大師のお言葉は、とても深い意味があると思われるので、他宗派の私が簡単に説明するわけにはいきません。しかし、「病があるから薬がある」というのは、心に残る言葉です。浄土宗的に見ると、お釈迦様は、末法の時代に生きる私たちを憐れんで、阿弥陀様という仏様がおいでのことを教えてくださいました。まさに、私たちの生きる苦しみという「病」への仏語という「薬」です。

 薬を飲んで、じっくり養生していく、自分のできることを少しでもしていくのが、仏教徒の暮らしでしょう。

 5月6日には、慈雲寺では弘法大師像を壇から降ろし、参詣の皆様にお身拭いをしていただきます。弘法大師とより深いご縁を結んでいただく良い機会だとおもいますので、ぜひお気軽にご参詣ください。

 また、四国八十八か所から集めた砂を踏んでいただける、お砂踏みもいたします。巡礼をしたのと同じ御利益があると言われていますから、こちらもぜひ体験なさってください。

 5月6日の10時から短い法要と弘法大師のお話しをしますが、お身拭いとお砂踏みは全日、いつでもお参りいただけます。

5月6日、弘法様の御正当に、弘法大師像のお身拭いとお砂踏みをいたします。

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 日本人で字の上手な人と言えば、まず思い出されるのが弘法大師ですね。上の絵は、

両手、両足、それに口にも筆をくわえて、さらさらと漢詩を書く弘法様の御姿です。もちろん、書く字は全部違う!ちょっと、凄すぎますね。

 でも、たくさんある弘法大師の絵の中では、私はこれが一番好きです。たぶん、中国の留学から帰ったばかりのお年頃ではないでしょうか?いかにも天才という雰囲気ですが、ユーモアがあって楽しそうです。

 さて、弘法大師の御正当日は、旧暦の3月21日です。新暦で言うと、今年は5月6日に当たります。御正当というのは、祥月命日のことなのですが、空海さまは、高野山で深い瞑想にお入りになったままで、今も生きていらっしゃることになっています。空海様の日常生活のお世話をする係もちゃんといるそうです。

 慈雲寺は法然源空上人(法然上人)を宗祖、善慧房証空上人(西山上人)を流祖とする浄土宗西山派西山浄土宗)に属していますから、御本尊は阿弥陀如来です。しかし、慈雲寺の周辺は弘法大師信仰の濃厚な知多半島の文化圏に位置しています(現在の住所は名古屋市ですが、50年前は知多郡)。その為、弘法様もお祀りしているのです。

 慈雲寺では、毎年の御正当の日に、弘法大師様の御像を壇から降ろし、参詣の皆様と御一緒にお身拭いをしていただいています。弘法様に直接触れて御縁を結んでいただく機会です。特に身体的なお悩みのある方にお勧めいたします。

 お身拭いには、マスク(お像に息がかからないようにするため)と柔らかい布をご持参ください。お参りに来られない方の為には、その方が愛用しているハンカチなどをお持ちになって代参されるのもお勧めです。

 また、当日は四国八十八か所の巡礼地から集めた砂を踏んで参拝していただける、お砂踏みも行います。四国巡礼と同じ功徳があると言われています。

 短い法要と、弘法大師のお徳についてのお話しは、5月6日10時から行いますが、お身拭いとお砂踏みは、朝7時半から夕方6時まで、お好きな時間にお参りしていただけます。

 どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参拝ください。

ゴールデンウィーク中の慈雲寺の行事のお知らせ

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 ゴールデンウィーク開幕ですね・・・とは言ってもお寺はあまり関係がありません・・と思っていたら、慈雲寺ではいろいろな行事があることに気が付きました。もっと早くお知らせすべきでしたが、万事ぼんやりの住職ですみません。

①4月29日10時より 尼僧と学ぶやさしい仏教講座

 毎月行っているお話しの会です。身近な話題を取り上げながら、仏教というものの見方、考え方を御一緒に学んでいきましょう。4月は「煩悩ってなんでしょう?」というテーマを取り上げてみました。仏教では、唯識など、煩悩を細かく哲学的に分析する伝統もありますが、難しい知識ではなく、身近な問題から仏教の「煩悩」へのアプローチの仕方、いはば「煩悩とのつきあいかた」を考えてみましょう。

 どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

 

②4月30日夜7時半より 「満月写経の会」

 慈雲寺では、毎月満月の夜に写経の会を行っています。とても緩やかな雰囲気の写経の会です。お月様を愛でるだけの方も大歓迎。慈雲寺の境内から眺める月は、また格別です。写経に必要な道具は全て用意してあります。お気軽にご参加ください。

 

③5月6日 10時より 「弘法大師御正当日」お身拭いと四国八十八か所お砂踏み (短い法要は10時からですが、お身拭いとお砂踏みは全日、いつでもお参りください。)

 旧暦の3月21日は弘法大師空海さまの御正当日(祥月命日)です。今年は新暦の5月6日がその日に当たります。

 慈雲寺では、毎年御正当日に弘法大師さまのお身拭いをいたします。さまざまな悩み、特に体の不調に悩むかたは、直接お大師様の御像に触れ、深いご縁を結んでください。また当日は四国八十八か所から集めたお砂のお砂踏みをしていただけます。巡礼をしたのと同じ功徳がいただけると言われています。

◎慈雲寺への交通アクセス


申し訳ありませんが、慈雲寺には十分な駐車場がありません。なるべく公共交通を使っておいでくださいませ。
 名鉄有松駅前から、「有松12番 有松町口無池行き 地蔵池経由」に乗ってください。日曜の9時台は二番乗り場から9時07分と36分に発車します。これらのバスに乗り、郷前(ごうまえ)の停留所でお降りください。そのまま道なりに進むと郷前の交差点に出ます。角に鍼灸院があり、その右手の細い坂道を上がると慈雲寺の屋根が見えてきます。
   また、時間はかかりますが、地下鉄の鳴子北駅から出ている「鳴子13番」のバスも郷前に停まります。日曜は8時45分にバスが出ます。
●栄のバスターミナルからは森の里団地行きのバスが一時間に一本出ています。この場合は、郷前の停留所から道を戻って郷前の交差点に行ってください。日曜は8時50分発があります。所要時間は約40分
●JRの大高駅から緑循環バスの名鉄有松行で郷前に行くことができます。日曜は8時44分と9時44分に出発します。9時台のバスですと10時の開始時間には少し遅れますが、あわてずにおいでください。
●また、同じ緑循環バスの名鉄有松行は南大高駅東にも停車します。9時9分発です。
●JRの共和駅からタクシーで5分。市バスはありません。「郷前の交差点近くの慈雲寺」とおっしゃってください。慈雲寺を知らないタクシーの運転手もいますので、その場合は郷前の交差点の鍼灸院で降りてください。鍼灸院からお寺の屋根が見えますので、右手の細い坂道を上がってください。
★慈雲寺から徒歩5分のところに、有松ジャンボリーというショッピングモールがあります。そこの駐車場に駐車して(無料)、歩いておいで下さるかたもいらっしゃいます

◎今日の写真は、天橋立の近くにある成相寺で見たシャクナゲです。

ご近所さんのお助け隊のおかげで、境内がすっきり初夏景色!

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 昨日、ご近所の方が5人来て下さって、慈雲寺の境内の枝払いや植木のトリミングをして下さいました。本当にありがとうございます!

 上の写真は、手付かずの状態の写真です。次回はきれいになった所をアップしますね。

 実は、Kさんのお宅が工事をなさるので、「作業員の車などを停めさせてほしい」という依頼を受けました。慈雲寺はご近所のお役に立てることなら喜んで!協力させていただきたいと日ごろから思っていますので、この依頼も嬉しくうかがいました。

 Kさんは「駐車料金はどれほど・・・」と聞いて下さったので、「もちろん無料で結構です。でも、境内のことを何か手助けしてくださると嬉しい。これも布施行の一つで、身施といいます。」なんて、冗談半分に言ってみると、何と!お友達に声をかけて下さって、お助け隊を結成して下さったのです。

 軽トラで集合した隊員は、電気のこぎりから箒まで完備。私の出る幕は全くなく、切り落とした枝や葉の掃除をもそもそしただけでしたが・・・

 境内はみるみるスッキリ!木立の間に風や光がとおって、植物も嬉しそうでした。

 慈雲寺は、住職が怠け者で要領が悪いので、なかなかスッキリした境内にはなりませんが、こんな風にご近所の方々に支えられて、何とか続けていかれます。

 本当にありがとうございます。