先日、曹洞宗の総本山総持寺で数日を過ごすという、有難い経験をさせていただきました。その時体験したことについては、自分の中でまだ消化できないところが多いので、少しずつお話していきたいと思います。
今日はまず食事のお話から・・・総持寺にいる間は、参拝者の方々が宿泊する施設にいたのですが、食事は修行僧の方々と同じ完全な精進料理。量もほんの少し・・・総持寺での食事については、少し噂をきいていましたが、いざお椀に半分ほどのお粥と漬物だけの朝食、煮物と茹でた野菜の二皿と白米という夕食には、思わず「う~ん」と心の中でうなってしまいました。
これでは、夜、お腹がすいて眠れないのではと心配になりました。何か買ってくればよかった・・・・
食事の作法もきちんと教えていただきました。食べることに集中することが基本。もちろんおしゃべりは禁止。一口づずゆっくり咀嚼し、口の中で食べ物が液状になるまで噛めと言われます。
ゆっくり、ゆっくり咀嚼しながら食べて行きます。黙って、食べることに集中していくのは、それほどつらいことではありませんでした。むしろ心地よいほど。
そうやってゆっくりゆっくり噛んでいるうちに、満腹感がしてくるのです。ゆっくり噛んで食べれば、脳が満腹という信号を出すという話は聞いたことがあります。確かに、食事の間はそうかもしれません。しかし、食べたものの量はいつもよりもずっと少ないのですから、食後はすぐにお腹がすいてくると思いました。次の食事まで、間食無しは辛いかも・・・・
ところが、驚いたことに、総持寺で過ごしている間、お腹が全く空かなかったのです。次の食事が、丁度よいタイミングで来るし、自室に戻って同宿の人たちがすすめてくれたお菓子も食べたい気になりませんでした。不思議なことです。
そして、さらに驚くことが!最終日の昼食を終えて、日程は終了。そのまま下山となりました。総持寺は鶴見にありますから、私は新横浜から名古屋に戻ろうとしていました。
その新横浜でのこと。留守番をお願いしていた方へのお土産を探していたら、崎陽軒のシュウマイ弁当を売っているのに気が付きました。その途端、猛烈にお腹が空いてきたのです。
さっそくシュウマイ弁当を購入。新幹線の座席に座るやいなやお弁当を食べ始める私・・・まさに、「貪る」という言葉がぴったりだったと思います。
昼食をいただいてから二時間ほどしかたっていないのに・・・いったい私に何がおきたのでしょう?
清浄な環境から離れた途端、貪りの煩悩に飲み込まれたということでしょうか??我ながら情けないことです。
慈雲寺に戻ってからは、さすがに自分が恥ずかしく、ともかく「ゆっくり食べることに集中する」という教えにしたがおうとしています。総持寺で使っていた箸を下さったので、その箸を自戒にしたいと思います。
◎今日の写真は、総持寺の三門近くにある楠木です。