慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

一日に六回は「死の危険」に晒されている!?

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  お盆の行事が一段落して、今日は仏花の手入れとメダカのお世話以外には、ボンヤリと過ごしていました。

 阿弥陀様や弘法様、お地蔵様にお供えする花は、夏の間はすぐに元気がなくなってしまいます。こまめに水を入れ替えてあげれば、もう一日か二日は持っただろうと思うと、あわただしさにかまけて命を粗末にしてしまったと申し訳ない気持ちになりました。

 しかし、どんなに手を尽くしても、花はやがて枯れてしまいます。私たちも、「日向に置かれた切り花」のように危うい命にかわりはありませんね。

 今日、ボンヤリとテレビのドラマを見ていたら、「統計的には人間は一日に少なくとも6回は命の危険にさらされている」という台詞が出てきました。道路を渡る、車の事故、落下物、地震、火山の爆発、心筋梗塞・・・そしてお風呂場で転倒する・・・などなど、「今日も一日無事で過ごせた」と思っていても、実は私たちは「危機をからくも避けられた」という状況に過ぎないというのです。

 う~ん・・・確かにそうかもしれませんね。でも、危険だからと言って家に閉じこもっているわけにもいかないし、人々の大半は家の中で命を落とすのだし・・・

 今月の下旬に僧侶を志す人への講習会の講師をすることになりました。私のようなぐうたら僧侶に何が教えられるのか大いに疑問ではありますが、「生きる」と「死」について仏教はどう考えているのか、人々の死への恐怖、生きることの哀しさにどう向き合っているのか、そして危ういからこそ、美しく、喜びも多い人生について、仏教はどう考えるのか、学生と共に学んでみようと思っています。

◎今日の写真は神奈川県の奥丹沢の渓流です。



盆供養を終えて

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 桶狭間周辺は、まだ旧暦でお盆の行事をする家が多いので、八月は僧侶たちは大忙しです。慈雲寺は特殊なお寺で、古い意味での檀家が無いので、八月でも棚経にあちこちへお参りに行くということはありません。

 しかし、ご近所のお寺のお施餓鬼に役僧として呼んでいただくこともあったり、旦那寺とのご縁が薄くなっている方が「せめてお盆の時ぐらい、お坊さんにお経を読んでもらいたい。」と慈雲寺に声をかけて下さるかたが少しずつ増えていたりして、けっこう忙しくしています。

 棚経に呼んでいただいて、分厚い過去帳を読み上げたり、真新しいお位牌に向かって読経したり、それぞれの家の「思い」を感じながら供養をさせていただきます。

 私の知人の僧侶のように、朝5時半から夜の8時過ぎまで走り回る・・・というのではなく、一軒一軒のお宅で、少しお話をする余裕があるのは嬉しいことです。

 8月は原爆記念日終戦記念日などなど、僧侶として考えたり、信仰上の覚悟を新たにしたりすべきことがたくさんあります。それなのに、新聞をゆっくり読む余裕もなく、部屋に雑誌や新聞が山積みになっています。修行の深まっている僧侶なら、こういう時に平常心を忘れず、涼やかに過ごしていけるのでしょうか?

 暑さに負けて、おろおろしている自分が情けないです。

◎今日の写真は奥丹沢にある洒水の滝です。通り道に立ち寄ったのですが、思いもかけず、美しい姿にビックリしました。

 

長崎の原爆犠牲者を悼む

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 上の写真はネットで見つけた長崎の原爆の時の写真です。今日の桶狭間のように暑い日だったようですね。

 7万4000人以上の方が犠牲になったと新聞で知りました。今朝の勤行の時に、広島の犠牲者の方と共にご供養させていただきました。

 40年以上前に週刊朝日の特別号で、当時長崎にいた医師の治療日誌をそのまま写真に撮影して一冊にしたものを買ったことがあります。その医師は、運び込まれる怪我人の様子を見て、これが放射能の被害であることをただちに見抜いていたようです。彼は淡々と、しかし怒りをこめて記録をしていました。

 あの冊子はどこへしまったかしら・・・今度実家に行ったら探してみましょう。できれば復刻版を出して欲しいものです。

 私たち日本人は、原爆そして福島原発の経験者として、核や原子力の危険性について、しっかり知識を身に着けるべきでしょう。もちろん原子力のプラス面も認める必要はあるでしょうが、それを考慮してもマイナス面の方がはるかに大きいことを根拠を学んで認識すべきだと思います。

 核兵器に反対することも「体験者」だからこそ、核兵器に愚かさを言い続ける責任があると思います。戦争も核兵器も「過去のこと」ではないのですから。

 仏教徒は、いかなる理由があっても人を殺してはならないし、殺させてもいけないという「戒」を守って生きていかなければなりません。

 

 

上質の人生・・・か??

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 先日、慈雲寺のポストに「Quality Life」というタイトルの冊子が入っていました。どういう意味のタイトルか、ちょっとわかりにくい。「上質の人生」とでも訳しましょうか?

 冊子の中身は広告です。その組み合わせがなんとも興味深いものでした。表紙は外国の車がカリフォルニアのような海岸の道を走っています。もちろん車線は右側。

 最初のページは1億4000万円の邸宅。車庫は三台分とってあります。ちゃんと仏間らしき畳敷きの部屋があるのが名古屋らしい?

 次はタワーマンションベントレーロールスロイスの宣伝・・・そして最後のページは機械式の納骨堂。完全バリアフリー&庭園付き93万円より。年間維持費はたったの(!)1万2000円です。ちなみに、慈雲寺のお墓の管理費は3年間で7000円です。ま、慈雲寺はバリアフリーじゃないし、冷房もないですが・・・広々した庭園+メダカの池有りです。

 マンション、外車、そして高級感溢れる納骨堂・・・これが上質の人生の必需品ということでしょうか??車にもマンションの宣伝にも人影が一切映っていないのが、ちょっと微妙でおもしろいところです。

 納骨堂の宣伝には車いすに乗った老女とそれを押す息子夫婦、そして孫一人・・・この「上質人生」のイメージ、ちょっと怖い。

 たくさんの子供たち、孫たちに囲まれて、代々のご先祖のお墓参り・・・というイメージにはならないのでしょうか?ま、孫が多ければ、ロールスロイスよりキャンピングカーが欲しくなるかもしれませんね。ちなみに、友人が持っていたベンツのキャンピングカーは、すんばらしいお値段ですが、長距離ドライブも宿泊もとても居心地が良いものでしたよ。

 謎は、この高級冊子が、なでぜ慈雲寺のような貧乏寺に送られてきたのかということです。寺院にもれなく送っているのなら、まだ「坊主丸儲け」の伝説に踊らされている広告会社があるということでしょうか?マーケティングの能力を疑うところです。

◎今日の写真は淡路島のとある高級ホテルのテラスです。

 

8月の慈雲寺の行事のお知らせ

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 8月に入りました。名古屋周辺は「酷暑」という言葉を使いたくなるような暑さの日々が続いています。あとたっぷり二か月は・・・・青々とした稲を見ていると夏の強い日差しも必要なのだろうとは思いますし、僧侶が天気についてあれこれ言うのも・・・でも、庫裏のおんぼろエアコンが今年も何とか持ってくれることを祈るばかりです。

 さて、8月は僧侶にとっては一年で最も忙しい月です。施餓鬼やお盆の棚経などなど・・・しかし、慈雲寺はのんびりしたものです。いつもより朝早く起きて、少し境内の草引きをしたり、メダカに餌をやったり・・・今日はお月参りと新聞記者の仕事で少し動きましたが。

 慈雲寺の本堂には冷たい麦茶(十六茶)と塩分補給のタブレットを用意してあります。本堂が開いているときは、どうぞご自由にお入りになって一服なさってください。

☆8月の慈雲寺の日程です。

1)お盆のお参りについて

 「お盆の時ぐらい、お坊さんにお経を読んでもらいたい。違う宗派でもお願いできますか?」という問い合わせをいただきました。

 全ての経典はお釈迦様の仏語です。慈雲寺では、宗派にかかわらず喜んでご供養させていただきます。

 5日~12日までについては、慈雲寺にお問い合わせください。

 13日~15日は15時以降に、慈雲寺にお位牌か過去帳を持っておいでいただければ、本堂でご供養させていただきます。時間はおいでいただいた順にとさせていただきますので、お好きな時間にどうぞ。

2)8月15日夜7時半より 満月写経・写仏の会

 慈雲寺では、毎月満月の夜に写経・写仏の会を行っています。どなたでもお気軽にご参加いただけます。

 8月はちょうどお盆の送り火の夜にあたりますので、ご先祖のご供養をかねて写経なさいませんか?

 必要な道具は全て用意してあります。

3)8月25日10時より 尼僧と学ぶやさしい仏教講座

 今月のテーマ:戒名・法名は必要ですか?

 慈雲寺では、毎月、身近な話題から仏教のものの見方、考え方をご一緒に学ぶ会を行っています。「講座」という名前はついていますが、どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加下さい。

 今月はご希望が多かった「戒名・法名」について、前回とは少し違った方向からお話してみたいと思います。

 

◎慈雲寺は皆なのお寺です。宗派にかかわらず、仏教にご縁を結んでいただく場になればと願っています。

 慈雲寺で行われる行事は特別な場合を除いて無料です。お寺の維持やご先祖へのご供養のために、お気持ちをご喜捨いただければ有難く存じます。

 ☎052-621-4045

◎今日の写真は淡路島のレストランから眺める瀬戸内海です。

 

 



京都アニメーションの犠牲者を悼む

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 昨日、ようやく10日分ほどの新聞をゆっくり読み直すことができました。今回の選挙の結果には、いろいろと考えさせられるものがあったので、「後でゆっくり」と思っていたら山のようになってしまったというわけです。

 最近のニュースで最も心が痛んだのは京都アニメーションの放火事件です。ニュース伝えられた日に、犠牲者の方々のためにご供養の読経をさせていただきましたが、犯人の動機など、新聞記事だけでは、まだわからないことが多く、テレビのワイドショーの取り上げ方には違和感が深まるばかりです。

 私はカナダにいたとき、日本のアニメを北米のテレビ局で放送するための翻訳をお手伝いしたことがあります。日本語から英語に直したものをチェックするだけの、ほんのさわり程度の仕事でしたが、アニメの制作に携わっている人々の多くが、けして恵まれた環境や待遇で仕事をしているわけではないことは容易に想像できました。

 京都アニメーションは業界でも評判の良い会社だったそうですが、建物の構造や避難経路、セキュリティなどは万全だったのでしょうか?

 一方、犯人については「統合失調症の患者だ」という情報がネットで流れ、ワイドショーなどでは、彼がどれほど異常だったかを強調するような取り上げ方が続いています。このことで「統合失調症」への誤解が広がらないかと危惧しています。

 心を病んでいる方たちや、心が傷を受けている方たちに寄り添うのも僧侶の役割の一つです。宗教者としての覚悟はもちろんのことですが、病気への知識を深めることも大切だと改めて考えているところです。

◎今日の写真はエクアドルで見た蘭の花です。

蚊とメダカに餌を与えただけの一日

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 お地蔵さまの花替えをしようと夕方、地蔵堂へ行きました。暑さでボーっとしてたせいか(いや、ボーっとしているのは一年中なんですが・・・)、素足、半そで・・と、まったく無防備状態でフラフラ境内を横切ったら、アッと言う間もなく十か所ぐらい刺されてしまいました。

 部屋にもどってぷっくりと膨らんだ噛み跡に薬を塗りながら・・・「う~ん、今日も朝の月参りは別として、蚊とメダカに餌をやっただけの一日だったか」と申し訳なさにうなだれてしまいました。

 その時、先日ある方からいただいたお電話のことを思い出しました。初めてお電話下さった方でしたが、少しお話をしている間に、その方がどんどん「自分のできること」をアッピールしていることに気が付きました。

 「できること」が多いのは、もちろん喜ばしいことです。才能に恵まれていたり、良いご縁に恵まれていたりして、その「できること」が増えていったのでしょう・・・と思って聞き続けていたら、どうもそうではないようです。

 「自分には、こんな才能もあるのに、認めてもらえない」という悔しさ、哀しみを私に訴えていらっしゃるようなのです。

 人は誰でも、強い「承認欲求」を持っているものです。親に褒められたい、友達に認められたい、上司に能力を認めて欲しい・・・などなど、「他人の評価」への‶飢餓”は、私たちの心を苦しめるものの重大な要素の一つです。

 自分のことを知ってもらうのに、「自分のできること」、「自分の才能」を伝えるのは大切なことなのかもしれません。でも・・・・

 阿弥陀さまは、「できることが多い」とか「何かに優れている」ことを救いの条件にはなさっていません。足りない、優れていない、できない凡夫の私をその身そのままで受け入れて下さっているのです。

 う~~ん・・・でも、今日の私はやっぱりダメダメかも。

◎今日の写真は奈良の薬師寺で見た蓮の花です。無心に咲いて、ただ散っていく花です。