今朝の新聞の一面見出しは「仏テロ2容疑者殺害か」でした。警官の突入の様子のテレビ放送を見ると、最初から「殺害」前提の突入のように思えました。人質の救出はどうなのだろう?「言論の自由」VS「イスラムテロ」という図式のことを一日中考えていました。このことによってイスラム教徒への差別やいわれのない暴力の連鎖が起きないことを祈るばかりです。
パリのドゴール空港から市内中心部へ入る電車に乗っていると、「荒んでいる」としか表現できないようなエリアを通っていきます。街角に行きかう人はアラブ系やアフリカ系と思われる人たちが多いように見えました。フランスの長い植民地支配の「遺産」なのでしょう。
イスラム教もキリスト教、ユダヤ教など「一神」を絶対とする宗教は、多くの対立を生んできました。仏教はおだやか・・・と言いたいところですが、第二次大戦のときに日本人兵の「戦意を鼓舞」したのも仏教です。
社会的な格差が広がり、生きていることに「意味がない」と感じる人が増えれば、「神の栄光」に殉じることで自分の生に意味を持たせようと考える人が出てくることを止めるのは難しいでしょう。
私は長い間カナダに住み、「少数民族の移民」の立場だったわけですから、今回の襲撃者を単に「狂信者のテロリスト」と言って片付けてしまう気にはなれません。では、仏教者としてどう考えるのか、どうすべきなのかを今日は一日考えていました。結論はまだ出ません。仏教徒として一つだけゆずれないのは、いかなる理由があろうとも殺してはいけないし、殺すことを肯定もできなということだけです。
・今日の写真はスエーデンのマルモという町角で見たお店のショーウィンドウです。スエーデンにも多くのイスラム教徒の移民がいて、差別問題が深刻になっています。