慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

慈雲寺での納骨供養

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 今朝は、先週満中陰(四十九日)を終えられた方が、亡くなられた方の納骨においでになりました。納骨の時期は、この方のように四十九日が済んですぐという方から、数年以上自宅に置いて供養したいという方まで、いろいろです。私はご遺族の気持ちが済むまで、自宅でご供養するということで良いと思っています。

 しかし、そのようにすると、いつまでも踏ん切りがつかないというか、身近から手放せないということにもなりかねません。仏教ではたとえ大切な遺骨でも執着すべきではないと考えます。ですから、四十九日とか百箇日、一周忌などをきっかけに納骨するというのが、やはり良いように思います。

 慈雲寺では、納骨供養もまず本堂に集まっていただき、ご本尊の阿弥陀様の前でご供養をします。比較的短いお経ですが、極楽の様子を描写したものを選んで読経しますので、亡くなられた方がすべての条件が整っている極楽に往生し、阿弥陀様のおそばで修行している様子を想像しながら聞いていただいています。

 ご遺骨は骨壺から晒の布に移します。このとき、ほとんどの方は骨を見て一種のショックというか深い感慨を持たれるようです。この体験は、自分の人生や命、そして仏教へと結ぶ深い縁のきっかけになると思います。できれば納骨は近親者だでけでなく、お孫さんや曾孫さんなど年若い方に参加いただきたいと願っています。

 本堂での法要の後、お墓に移動し、簡単な読経の後、ご遺骨をお墓に納めていただきます。

 現在の慈雲寺には納骨堂や合祀墓はありませんが、このところしばしば「合祀墓があると安心なんだけれど・・・」とおっしゃる方がいらっししゃいます。私は、最近新聞などに派手な広告を出すような納骨堂や合祀墓には賛成できません。しかし、生きている間に慈雲寺にご縁を結ばれ、信仰で結びついた友が人生の終わりを看取り相い、一つの墓に入るというような合祀墓ならあっても良いだろうと思います。もちろんこれは、「生きている間に慈雲寺に集う」というのが大前提ですが・・・

・今日の写真はフィンランドで見た花です。シャクヤクのようですが、北欧にも咲くのでしょうか?それとも「東洋の珍しい花」としてフィンランドに持ち込まれたものなのでしょうか?