先日、ある方とご一緒にお食事をしました。お話しを聞いているうちに、なんとも言えない違和感を感じました。お話しを続けているうちに、少しずつ問題の「核」のようなものが見えてくるような気がしました。
その方は、いろいろな面で優秀な人なのですが、どうやら「自分は正当な評価を受けていない」と感じておられるようなのです。私から見れば、その方は実力を評価しされ、それにふさわしいポジションを得ていると思うのですが、彼にとってはポジションを得るだけでは不満で、それに見合った待遇というか敬意を払って欲しいということなのでしょう。彼のような不満を抱えている人は、どのような地位を得ても不満は続くのかもしれません。う~~ん・・・・これは困ったことですね。
日本に戻ってきて、最初に気になったのは、日本人はなかなか自分の思っていることを素直に表現するのが苦手ということです。「ありがとう」という感謝の言葉から、ある方の行動の成果や配慮、努力などを評価する言葉まで、なかなか率直に語られることは少ないように思います。
「ゴマすりと思われたくない」とか「どうせお世辞と思われるだけ」なんて心配でしょうか?なかには「いつも背中に手を合わせてます」なんて、何にもならないようなことをしている人もいるようです。こんな状況では、何を言われても「正当な評価を受けていない」と思っている人は多いのかも・・・・
「思いは以心伝心で伝わる」と思っているのかもしれませんが、やはり思いは言葉と行動に表してこそだと思います。
実のある褒め言葉は相手の行動や言葉、それによって引き起こされる状況をじっくり観察してこそ出るものです。つまり、相手に関心を持つことが大事ですよね。
こうした真摯な観察や関心から生まれた言葉は、褒められれば素直に嬉しい気持ちになるでしょうし、たとへ耳に痛い批判であっても受け取り方が全く違うでしょう。
同じ信仰を持つ仏教徒同士は、思いやりを持ち合い、認め合い、また意見を言い合う親しい仲間でありたいものです。
●今日の写真はカナダの西海岸に広がる温帯雨林の深いもりの中にひっそり咲いていた野草です。