慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

旧統一教会関連の裁判判決資料を読んでみる Part 1

湯田温泉で出会った子ぎつね。こんな可愛い顔しても人をだますのかな?

 

 私は実は法学部出身です。ま、専攻は「法哲学・法制史」だったので、実務的な法律のことはさっぱりなのですが・・・・でも、旧統一教会関連のことで裁判が起きていることには興味がありますし、判決文を読んでみたいと思っていました。判決文というのは、やたらに長く、日常生活では使わない言葉や言い回しが多いので、なかなか全部読むのはやっかいですが、ちょうど私が読んでみたい箇所が引用されている記事があったので、ご紹介したいと思います。

 

 この判決文は、東京地方裁判所で平成19年5月29日に出されたもので、いわゆる霊感商法の問題で旧統一教会が訴えられた事例のものです。

ここでは、宗教活動の違法性の判断基準について、その線引きが述べられています。

 

献金等を含む宗教的教義の実践をしないことによる害悪を告知するなどして、殊更に被勧誘者の不安や恐怖心を助長して、被勧誘者の自由意思決定を不当に阻害し、被勧誘者の資産状況や、生活状況に照らして過大な出損をさせるようなものであると認められるような場合には、当該行為が形式的には宗教活動の名の下に行われているとしても、もはや社会的相当性を逸脱していたものとして違法の評価を免れないというべきである。」

 長い!句読点のつけ方を考えてほしい!と、思わず叫びたくなるような文章ですが、こんな文章ばかり毎日読んでいた半世紀前を懐かしく思い出させてくれます。ま、あの時のように毎日は嫌だけど・・・・こねくりまわした文章を読むトレーニングは今の仏教書を読み込む訓練にもなっていると思います。

 

ポイント1

「宗教的教義の実践をしないことによる害悪を告知するなどして、殊更に被勧誘者の不安や恐怖心を助長して」

 さまざまな苦しみ、特に病気や近親者の死などの状況を「教えを実践すれば好転する」とか「うまく行かないのは祟りだ」「病気が治らないのは信心が足りないからだ」などと不安や恐怖心を助長することは違法性が高いという判断です。

 ここで大きなポイントになるのは「殊更に」という言葉でしょう。

 

 昨日、ある真言宗のお寺からお手紙が来ました。以前このお寺の取材をしたご縁で、毎月「〇〇寺だより」のようなものを送ってくださるのです。さまざまな御祈祷の案内なども同封されています。

 今月の手紙には、来年の星回りについてのお知らせが入っていました。じっくり読んでみると、私の来年の星回りは最悪・・・・・らしい。おもわず護符や星供養のお願いをしてみたくなりますよね。きちんとご供養をすると、だいたい数万円かかる計算になります。

 これは、「宗教的教義の実践をしないことによる害悪を告知」することにはならないのでしょうか?もちろん、「護符をもらわないと、いろいろ悪いことがふりかかるぞ」なんて書いてあるわけではありませんから、違法性はないと言って良いでしょう。

 しかし、どの宗派でも多少は「吉凶禍福」については説いているので、線引きは難しいです。その点、慈雲寺が属する浄土宗西山派西山浄土宗)は、ほとんど「吉凶禍福」について語らないし、お守りですら積極的には頒布していませんが、全く無関係とはいえないでしょう。(つづく)