だますという評判のキツネも、心安らかに眠れる日があるといいですね。
旧統一教会を相手に霊感商法関連の訴訟が何件も起きていますが、その判決文を読んでみました。
前回のPart 1 では、何が違法とされるかの裁判所の判断のところを見てみましたが、今回は「ここまでは宗教活動の範囲」と裁判所が判断している箇所を読んでみましょう。
「一般に、宗教団体が、当該宗教団体の宗教的教義の実践として、あるいは、布教の一環として、献金を求めることや、宗教的意義を有する物品の販売などを行うこと自体は、信教の自由として保障されなければならないものであって、これを殊更に制限したり、違法と評価することは厳に慎まなければならない。」(平成19年5月20日。東京地裁判決文)
だらだら長くて読みにくい文章ですが、これは判決文としては、まあ普通のレベルです。信教の自由は憲法で保障された最も基本的な権利ですから、そこに抵触しないように裁判官も苦労していることがうかがえます。
一般的なおまもりやお札などの頒布は、当然「宗教的意義を有する物品の販売」に該当するでしょうから、問題はないでしょう。
しかし、水子供養のための小さなお地蔵さんや、「ぴんぴんころり」と逝けるという枕カバーなどはどうでしょう?
身近な者の死や、老いなど、私たちをとりまく深刻で哀しい問題に「つけ込む」ような要素が無きしもあらずです。そんなことを言えば、「腰痛のおまもり」や「合格祈願のおまもり」はどうでしょう?
もちろん、水子さんを失った哀しみが、お地蔵さんをお供えしたり、身近に置いて供養したりすることで和らぐなら、それが十分に宗教的な意義を満たしているでしょう。
合格祈願のお守りも枕カバーも、それを持つことで心に余裕が生まれ、実力を発揮できたり、良い睡眠を確保できるなら、十分に現実的なご利益があると言えると思います。
問題は、前回指摘したように「殊更に」不安や罪悪感をあおり、信者の資産状況にとって明らかに過剰な布施を要求するようなものは違法だというのが、裁判所の判断です。
また、金銭的な布施や献金については、判決文にはこう書かれています。
「当該勧誘が、献金等を含む宗教的教義の実践をしないことによる害悪を告知するなどして、殊更に被勧誘者の不安や恐怖心の発生を企図し、あるいは、不販や恐怖心を助長して、被勧誘者の自由な意思決定を不当に阻害し、被勧誘者の資産状況や、生活状況に照らして過大な出損をさせるようなものであると認められるような場合には、当該行為が形式的には宗教活動の名の下に行われているとしても、もはや社会的相当性を逸脱したものとして違法の評価を免れないというべきである。」
はぁ~~~長い。
要するに、献金をしないと悪いことが起きると脅し、「殊更に」恐怖心や不安をあおって、「自由な意思決定」ができないようにすることが違法だとされているのです。
まあ、浄土系の宗派では「霊能力がある」と自慢したり、「たたり」なんてことを言いだす僧侶はまあいないと思うのですが・・・・・「不幸が続いたり、病気が治らないのは信心が足りないからだ」なんてことを言いだしたり、祈祷によって病気が治ると強調したりする僧侶がいないことを強く願いたい気持ちです。