50年も前の話になりますが、ある夜、父が興奮した面持ちで家に戻ってきました。どうやら仕事関係で飲んできたようです。
普段はとても寡黙で、芸能人の噂話など一切興味を示さなかった父ですが、居間に入るなり、着替えるのももどかしいという感じで話はじめます。
「凄い子がいたんだよ!まだ二十歳そこそこだと思うけど、歌がうまいんだ。喉が嗄れててるみたいな不思議な声なんだけど、聞いてるとぐいぐい心に入ってくるんだ。」
おそらく、新人の歌手が、新曲のキャンペーンか何かで、路上でミニコンサートのようなものをしていたのではないでしょうか?
「その子、なんて名前なの?」と私が聞くと、父は「あれ??」という顔をしました。恐らく酔っていた父は、その歌手の名前を聞き漏らしていたようです。
私は「な~んだ」と少々馬鹿にした反応だったので、父は口をつぐんで寝室へ行ってしまいました。
それから数ヶ月後、テレビを見ていた父が「あ、この子だ、この子だ」と声をあげました。それが八代亜紀さんでした。
以来、父は晩年まで八代さんのファンで、カラオケの定番でもあったようです。芸能事にはほとんど関心の無かった父には珍しいことでした。
最後まで父を楽しませてくれた八代さんの歌には感謝の気持ちでいっぱいです。病気で長く苦しまれたと聞いて、心が痛い気持ちです。
今日は父が残したCDを聞きながら、八代さんを悼みたいと思います。