慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

10月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、10月29日(日曜)10時より行います。テーマは「末法の時代に生きる」です。どなたでもお気軽にご参加ください。

「生き仏さま」は生きた仏としての役割を果たしてほしい。

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 先日から新聞などで報道されていますが、長野の善光寺の大勧進の貫主さまが、セクハラや差別発言などで退任を要求されているようです。

 ご存じのように善光寺には二人の住職がいます。大勧進は天台宗系の男性僧侶。そして大本願は浄土宗系の尼僧です。お二人は「生き仏」として日本全国の信者から崇められています。毎朝、それぞれのお寺から善光寺の本堂まで、お二人のどちらかが歩いて行かれます。その沿道にはいつもたくさんの人が石畳に膝をつき、頭を深く垂れて上人さまたちがお通りになるのを待っています。大勧進さまも、大本願さまも、手にしたお数珠で信徒たちの頭を軽くなでるようにしながら進んでいかれます。

 私も昨年、冬の寒い朝、ひざをついて「お数珠頂戴」の列に加わりました。大勧進さまのお数珠は大きくて、しっかりとその重みを頭に感じるほどでした。衣に焚き染められたお香のかおりが印象的でした。

 この「お数珠頂戴」によって、善光寺如来さまと深いご縁が結ばれるはずなのです。しかし、それは大勧進貫主が、「生き仏」として自らを律し、慈悲の行を実践していればこそです。

 大勧進という役割を引き受けたときに、小松貫主は「生き仏」としての道を歩み始めたのですから、生き仏らしく生きて欲しいと思うのは自然なことでしょう。

 フェラーリに乗ったり、テレビ業界の女性と不適切な関係をもったり・・・・もし、そんなことをしたいのであれば、まずは「生き仏」の役割から降りるべきでしょう。

 「僧侶だって人間だから、たまには息抜きが必要」という人もいるでしょうが、大勧進というポジションはそんなに簡単なものではないと思うのです。

 日本の仏教が宗教として生き残っていくためには、菩薩行を実践し、人々にお釈迦さまの教えを伝えていく努力をおしまない僧侶が増えることが第一です。そのためには、「生き仏」さまが、まず「生き仏」らしく生きていただきたいと思うのです。

 と、ここまで書いて来て、では私はどうかと自問しなければなりません。慈雲寺という地域の人々によって支えられてきたお寺の住職に「ふさわしい」とはまだまだ言えないでしょう。しかし、少しずつでも自戒していかなければいけませんね。

◎今日の写真はカナダの東海岸の海辺でみた可憐な野草です。