慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

お布施の渡し方 (その1)お布施は「料金」ではありません

 先日、友人数人と会っていた時、禅宗の僧侶のYさんがお布施のことを話始めました。

 「お布施を料金だと思っている人が多くて困っている。でも、これはお布施の意味や意義をきちんと檀家さんたちに説明してこなかった私たちの責任だよね。」と苦笑い。

 お布施をいうと、最初に頭に浮かぶのは、お札を包んだお供えでしょう。しかし、布施は本来「布施行」という修行の一つです。自分の命、大切な時間を削って得た収入の一部を手放して、仏さまにお供えするということは、金銭に対する執着を離れ、煩悩を滅していこうとする修行なのです。

 ですから、法事などでお供えする布施は、あくまでも仏さまへの「お供え」。けして、僧侶が行う儀式やお経の「お礼」や「対価」ではありません。

 僧侶の側も、読経や説教は、仏の教え、真理である「法」を布施させてもらう修行です。修行に「料金」や「対価」が発生するのはおかしいですよね。

 

 お布施は僧侶への「対価」ではありません。読経も儀式も布教も、対価が発生しないという意味では「仕事」ではないでしょう。僧侶であることは、「ライフスタイル」、生き方の問題だと私は考えています。

 一方、お寺をあずかる「住職」は、仕事です。

 皆様からお預かりしたお布施は、仏さまへのお供えとして、最もふさわしい活用法を考えるのが「住職」の役割ということになります。

 お供えされた財物を有効に使って、お寺を維持し、仏の教えを広め、人々の心の癒しとなる場を広げていくのが役割です。そのためには、住職は僧侶としての修行に精進しするだけではなく、社会の状況、人々の暮らし、世界の動きにも敏感でなければならないでしょう・・・・なんて、偉そうなことを書きましたが、これは私の努力目標。目標達成には、恥ずかしながらまだ道遠しというところです。

 

 お布施のことを「喜捨」とも言います。喜んで捨てる、手放せることがポイントです。「このぐらいが相場」とか、「このぐらいなら失礼ではないだろう」とかを基準にして決めるのではなく、仏様への信仰、ご先祖への報恩、お寺への維持協力など、自分の思いを込めて「喜捨」していただくのが理想です。(つづく)