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慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、3月26日に行います。テーマは「散骨の時代に、改めて”寺縁墓”を考える」です。

「悪気はない」は免罪符ではありません

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 外は今年初めての雪です。朝の英会話早起き会をやっているうちにチラチラと舞い降りてきました。途切れなく降っていても昼間は積もりそうになかったのですが、夜になると気温もマイナスになり、境内は雪化粧を始めました。

 先日、知り合いのAさんと話しているときに、「どんなことを言われたら辛いか」という話題になりました。Aさんは他人の悪口を言わない上品な方です・・・が・・・ついポロリと心の奥から言葉がこぼれ出てしまったのです。

 「そうですねぇ・・・私が苦手なのは『悪気はないのだから』って慰められることかしなぁ・・・」

 誰かの言葉や行動にAさんが不快になったり、辛い思いをしたとき、第三者が「そりゃ、あなたの気にしすぎ。あの人だって悪気があって言ったんじゃないし。」と慰められると、辛さが倍増するのだそうです。

 確かに、「悪気はない」発言なら、それを受け止めたAさんの考えすぎ、早とちり、誤解・・・ということになり、Aさんが素直に受け止めれば、もしくはおおらかに受け止めれば問題はなかった・・・ということになりますよね。

 家庭内のもめごとの時に、特にこの「悪気はない」が出てくるような気がします。「お姑さんも悪気があって言ったわけじゃないから、そう気を悪くしなくても・・・」で問題を終わらせてしまおうとすると、もめごとはけして解決せず、根っこからじわじわと腐ってくることになりかねません。

 追い打ちをかけるように、「あなたの為を思って言ったのに・・・」が加わると、よけいに拗れてしまうことも!

 仏教では、言葉は非常にパワフルなものだと考えています。日本の言霊信仰も同じですね。悪気があろうとなかろうと、言葉が人を傷つけてしまうことは多々あります。一度発せられた言葉の影響力は、「悪気はなかった」などという絆創膏では治らない深い傷をつけてしまうのです。

 Twitterやラインなど、短い言葉で短時間のうちに、十分に考えること無しに発言することが増えています。一度ネットに書き込んでしまえば、もう取り消すことはできません。その恐ろしさを時には立ち止まって考えてみてはいかがでしょう?

 家庭内の会話でもそうです。気軽にやりとりするからこそ、そして気心が知れていると思うからこそ、時にはじっくり時間をかけて、状況や相手の気持ちを思いやってから発言すべき場合もあるのです。

 「悪気はない」という言葉を使ったときには、特に相手の反応に細かく気を配りたいものです。

◎今日の写真は京都の佛陀寺の本堂の荘厳飾りです。