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慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、3月26日に行います。テーマは「散骨の時代に、改めて”寺縁墓”を考える」です。

五十回忌の法要の温かな思いと大切さ

 

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 私は、三年前に慈雲寺に赴任するまで数十年間北米で暮らしていました。日本の慣習についてカナダの友人たちに話をすると必ず「ああ、それは良い習わしだね。」と言われたのが「法事」です。

 キリスト教では葬儀はありますが、仏教のような年忌法要は行われません。しかし、カナダの友人たちは、何年かに一度、縁者が集って故人を偲ぶのは、とても良い機会だと言うのです。

 三十三回忌や五十回忌になれば、故人に直接会ったことのない親族も集まることになります。しかし、集まった人たちが故人について語りあうことで、若い人たちに「家族」の思いが伝えられていくのは、なんて温かで素晴らしいことでしょう。

 先日、ある方の五十回忌がありました。亡くなられた方の曾孫、玄孫たちまで集まって、穏やかで、温かな雰囲気が感じられる法要でした。私も、心を込めて『阿弥陀経』を読誦させていただきました。

 めったに会う機会のない、いとこやまたいとこたちに会えるのも、法事の大切な供養の一つです。もちろん、一族の多くの人が集まれば、不満や怒りの感情を思いだしてしまうこともあるかもしれません。しかし、十年、三十年、五十年・・・時間の流れで自分の感情のもつれが解きほぐされることや、思い出を語り合ううちに誤解が説けることもあるかもしれません。

 法事には、たくさんの功徳があります。亡くなった方への供養は、けして一方通行ではなく、極楽からたくさんの温かなものを受け取る機会でもあるのです。

 ぜひ一度、お墓の墓碑を確認してください。もし、年忌の年、特に五十回忌が近づいているようなら、法事をご縁のあるお寺と相談なさってはいかがでしょう?もちろん、慈雲寺でもご相談くださいませ。

◎今日の写真はカナダのニューファンドランド島でみた野草です。