慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

法然→證空→聖達→一遍と伝えられた「信」の問題 Part3

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 上の絵は、ネットからお借りした一遍上人のお姿です。手に持っている札は、Part2に掲載した賦算のための札です。

 一遍は、「南無阿弥陀仏 決定往生六十万人」と木版印刷された札を配って極楽往生を保証し、布教を続けていました。

 文永11年、一遍たちは熊野の本宮を目指して進んでいました。その遊行の途中、熊野の山中で律宗の僧侶に出会いました。

 一遍はいつもの通り、「一念の信を起こして、南無阿弥陀仏を称え、この札を受けてください。」と言いながら札を差し出しました。しかし、律宗の僧侶は「あなたと違う教えを奉じている。阿弥陀仏への信仰がないので受け取れない。」と拒絶しました。一遍は、「縁なき衆生は度し難し」と突き放してよいのか、深く思い悩みます。とうとう一遍は熊野本宮に参篭し、熊野権現阿弥陀仏の化身と信じられていた)の導きを願いました。

 すると権現が現れ「法蔵菩薩阿弥陀仏になったときから、一切衆生の往生は決定(けつじょう)しているのだから、信不信、浄不浄をとわず、その札をくばりなさい」と一遍に告げたのです。

 このお話は、一遍上人の絵伝のハイライトの一つです。一遍上人の信仰の特徴を表すものとして知られています。

 しかし、その思想の根源に流れている、「阿弥陀仏の出現と衆生の往生は切り離せるものではない」という教えは、法然から證空へ伝えられた教えに他なりません。

 阿弥陀仏は、法蔵菩薩の時に「すべての衆生を極楽へ迎え取る。それが成就されなければ仏にならない」と誓って修行を続けたのです。法蔵菩薩阿弥陀仏になられているということは、その誓いが完成されているということです。

 衆生極楽往生は、阿弥陀仏の一人働き。念仏の数や、信じるかどうかは、問題ではないのです。

 證空は「疑うのは凡夫の本性だ」と説いています。不信の気持ちが起きたら救われないのなら、私たち凡夫の多くは救いから零れ落ちてしまうでしょう。

 では往生が決定しているのに、なぜ私たちは輪廻を繰り返し、生きる苦しみを何度も繰り返してきたのでしょうか?(つづく)