今日の桶狭間はすっかり夏でした湿度はまだ低いので、気温が高くても陰に入れば涼しい風が吹いてきました。私が30年以上過ごした町の真夏はこんな感じでした。その町だったら、「今日は真夏真っ盛りの日だったねえ!」と言い合うところです。なので、今日の写真はオーロラ。涼しさを先取りして下さい。
今日は、先日お葬式をさせていただいたH家の中陰三七日の法要でした。ご兄弟でお寺に来ていただいて、毎週短いお経をあげさせていただいています。
最近は葬儀会館で葬儀をすると、火葬が終わるとすぐに初七日の法要をしていまいます。遠くから出席する人に、またすぐ集まってもらうのは・・・という気持ちはわかるのですが、初七日を収骨のすぐ後にするというのはどうでしょう?
私は、初七日の法要の中で、読経だけではなく、戒名に選んだ言葉の意味を説明したり、中陰の意味をゆっくりご遺族に説明したりしたいのです。しかし、通夜から告別式、火葬と過ごしてきた遺族は、火葬場から戻るころには心身共にくたびれ果てているのではないでしょうか?そんなときにお説教が耳に入るのか疑問です。
やはり、本当の初七日の日まで待った方が良いと思うのですが・・・
さて、私は初七日の法要の時に、一般的な中陰の説明(このブログのPart1に書いたような説明)と、慈雲寺が属する浄土宗西山派(西山浄土宗)の解釈の違いを比べながらお話します。
法然房源空上人(法然上人)には、優れた弟子がたくさんいました。浄土真宗の親鸞聖人や、浄土宗鎮西派の弁長上人が有名ですが、法然の晩年の最も円熟した教えを直接受け継いだのが善慧房證空上人です。證空は法然の死後、京都の西山にある現在の三鈷寺に拠点を置いて布教したので、にしやまの上人とかせいざん上人とか呼ばれるようになりました。
證空は、極めて論理的な思想家で、師の教えの「他力」を徹底した人です。
阿弥陀仏は、法蔵菩薩の時に、「すべての衆生をなんの条件も付けずに極楽へ迎え取る」という誓い立てて修行に入りました。法蔵菩薩は48の願を立てて、その全てが成就しなければ仏にならないと誓ったのです。
そして、その四十八願は完全に成就されたので、阿弥陀仏となられているのです。
阿弥陀仏の成仏と衆生の極楽への往生は、同時に発生して切り離すことはできません。すでに阿弥陀仏に願われている身の上なのに、私たちが輪廻を繰り返してきたのは、私たちの「業」が邪魔してきたからと言ってよいかもしれません。外には広大な青空が広がっているのに、戸も窓も締め切って、暗闇の中で怯えているのが私たちです。
それを憐れんで、お釈迦様が「法蔵菩薩が阿弥陀仏になられた所以」を説いてくださったのです。お釈迦さまの教えを聞いて、「ああそうだったのか。私たちはこの身このままで阿弥陀仏に救いとられているのか」と領解(りょうげ)したとき、思わず口からこぼれでるのがお念仏だと證空は教えています。
お念仏をする”から”救われるのではないのですね。
阿弥陀仏が、阿弥陀仏になられた願い、ゆえんを聞かせてもらうだけで良いのです。それはまるで、豊かな土にまかれた種に水が注がれるようなものです。種のまま輪廻してきた私たちが、いよいよ発芽し、花が咲くのです。
近しい人の死は、深い悲しみをもたらすものですが、人生の真の姿、命の現実と向き合う大切な機会でもあります。中陰は、縁者が集まって慰めあい、励ましあいながら、命について考え、仏教と出会い、人生を新たに歩み出すためのものです。
単なる儀式ではなく、仏の教えに出会うための機会と考えて下さい。廻向は、遺族から故人へだけではなく、仏や菩薩となった故人からも廻向されている両方向のものなのです。
西山派では、阿弥陀仏のいわれを「聴く」というのが非常に重要ですから、生きている間に仏法と出会うことが何より大切なのです。中陰は、「仏法との出会い」という、故人から遺族への大切な贈り物と考えても良いのではないでしょうか。
仏法を聴けるのは人間と天人だけ。せっかく人間に生まれてきたのですから、この機会を大切にしたいものです。すべての衆生は最終的には皆、極楽へ救いとられます。でも、せっかく人間まれてきたのですから、今生で極楽へ行きたいものですよね。
◎ももはなさんから、死産した子供などは往生するのか?という質問をいただきました。これについてはPart4でお話します。