慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

浄土系の宗派では「中陰」の意味をどう考えるか Part1

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 5日ほど前、このブログにももはなさんが質問を書き込んで下さいました。それが「浄土系三派では、49日の意味ってなんですか?」というものでした。

 ももはなさんは、いつも鋭いコメントややっかいな(?!)質問をして下さる有難い読者です。「49日」の意味というのも、あらためて説明を求められると、実はとても難しい質問なのです。

 ところが、ここ数日、「慈雲寺でお葬式としてください。」と頼んでくださった方が、なんと二組もあったのです。慈雲寺は伝統的な意味での「檀家」はないので、お葬式を頼まれることは年に数回、あるかないかです。数日のうちに二回もお葬式を務めさせていただいたのは、私が慈雲寺に赴任してから、もちろん初めてのことです。

 火葬場からご遺骨が斎場に戻ってきてから、初七日の法要をするのですが、その時に中陰のお話をさせていただきました。私はどの宗派の僧侶も、初七日の法要の時に、中陰の意味や意義についてお話すると思っていました。ですから、ももはなさんにご遺族が質問するって・・・どうしてなのでしょうね?僧侶からは何の説明もなかったということでしょうか・・・う~ん・・・

 

◎中陰(中有)とは

 中陰の意味や意義について、各宗派で説明の仕方が違います。それは「輪廻」や「悟り」に関する考え方の違いです。

 一般的な説明としては、人が亡くなると、7日ごとに、その人の生前の行いについて裁判が行われます。裁判官で一番有名なのは閻魔さまですね。この方は五七日にとうじょうすると言われています。

 この裁判の時に、亡くなった人にとってできるだけ良い判決が出されるように、遺族が集まって法要を行い、その功徳を亡くなった人に廻向するのです。

 最長49日間、7日ごとに区切りがあり、そのいずれかで次に輪廻していく場所が決まっていきます。地獄などに落ちることなく、できるだけ「楽」の多い場所、理想的にはお浄土へ往生できるように、遺族が全力で廻向し、亡くなった方をサポートするのです。

 自力で悟りを求める宗派では、今生で悟りを開くことができなかったならば、より悟りの近い状況に生まれ変われるように・・・というのが一つの目標です。例えば、僧侶として生きられるような状況に生まれるとか、それ以前に人間に生まれるとか・・・なかなか先が長い話ですから、しっかりした応援(廻向)が必須ですね。

 でも、49日でもう次の輪廻先が決まっているのだとしたら、一周忌や三回忌などの、年忌法要の意味は何なのでしょう?禅宗の方々などの解説を聞かせていただくチャンスがあれば嬉しいですね。

 

◎浄土系の宗派における中陰の考え方

 さて、浄土系の宗派では、中陰をどうとらえているのでしょう。浄土系の教えでは、基本的に亡くなった時点で、阿弥陀仏が極楽に迎え取って下さるので、遺族の廻向があろうがなかろうが、すでに極楽に往生しているわけです。

 慈雲寺が属する浄土宗西山派西山浄土宗)では、さらに徹底した他力のとらえ方をするので、法蔵菩薩阿弥陀仏になられたと同時に、衆生の往生は決定(けつじょう)してると領解(りょうげ)しています。ですから、こちらから用意するものは何もない。

 では、廻向は不要なのでしょうか?廻向の意味が違うのでしょうか?(つづく)