慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

5月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」5月26日10時より行います。テーマは「御祈祷、お守り、お札とは何か」です。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

本当はイスラム教より多い、仏教の礼拝

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 お寺では、夜明け前から朝の勤行を始め、日が昇るころ終了というのが日課です・・・と言いたいところですが、先代様のころに早朝の読経はご近所からクレームが出たらしく、私は原則7時半からお勤めを始めます。

 イスラム教国に行くと早朝やお昼ごろ、モスクから礼拝の時間を告げる声が聞こえてきます。イスラム教徒は一日に五回の礼拝をすることが忘れてはならない信仰行動です。

 仏教の寺院ではどうでしょう?他の宗派のことはよく知りませんが、浄土系の宗派では、ほんとうは一日六回礼拝をすることになっています。4時間ごとの1時間近くかけて礼拝したら・・・う~~ん、いつ寝るんだ?

 でも、私の兄弟子の一人は、「僕の夢は、六時礼讃を守って暮らすことだな・・・」と真面目な顔で言っていました。この兄弟子は、アメリカ人、裏千家の師範でもあります・・・・

 私は、朝一回のお勤めでも、時々怠けてしまうほどで、我ながら情けない。しかし、ここ数日、朝のお勤めの代わりに、「日没礼讃」と言って、夕方に行う勤行を行っています。これがなかなか良い。

 朝のお勤めとは違うお経を読みますから、それも新鮮でいいですね。

 これから、ときどき「日中礼讃」など、いろいろな時間のお勤めをやってみようと思っています。

◎今日の写真は、インターネットの無料画像からお借りしたアブダビのモスクの写真です。とても美しいですね。

 

瀬戸内寂聴上人の出家の動機

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 上の写真は、インターネットで見つけた瀬戸内寂聴上人の得度式の様子です。

 先日、ブックオフのセールで大量に購入した本の中にNHKの取材班が制作した『ブッダ大いなる旅路』がありました。この本はNHKのドキュメンタリー番組の副産物のような本で、上質の写真がたくさん入った美しい本です。買ったのは一巻だけですが、ブッダの生涯を現地の風景や遺跡、仏像などを紹介しながら綴っています。

 今日は、この本を読もうとしてページを開いたら、中から本のおまけらしい「月報」なるものが落ちてきました。どうやらこの本は誰にも読まれることのないうちに、古本屋にたどり着いたようです。

 その「月報」には、瀬戸内寂聴上人のエッセイが掲載されていました。短い文章ですが、寂聴さんが出家した動機や、出家に至るまでのプロセスなどについて万遍なく触れられています。

 「出家以前、私は自分の力を信じ頼りにし、生きるすべての道は自分の手で切り開いていくものだと考えていました。(中略)ところが、私が思い描いたこの世で欲しいものすべてを手に入れた時、果たして、私は歓喜と満足を得たでしょうか。私に与えられたものは、実にむなしさと虚脱感のみ、こんなはずではなかったという思いだけが残されました。」

 これが、寂聴さんの出家の動機として書かれているものです。「人の二倍も三倍も努力した」と自分でおっしゃっているくらいですから、成功を手に入れた先に待っていたものに対する落胆も大きかったのでしょう。

 寂聴さんは、「このままではいけない。人生を一からやり直したい。」という思いから出家という道が開けてきたと書いておられます。

 出家の動機はさまざまです。仏道を歩み始めるきっかけは、どんなことでも構わないと私は思います。しかし、現実逃避の手段として出家しても続かないだろうと思います。寂聴さんは、現実から逃げたのではなく、新たな道を切り開こうとする意欲に動かされたのでしょう。

 出家の時の師僧となって下さった今東光上人に出会うまで、何人もの高僧にあって相談したとも書かれています。縁が結ばれるまで寂聴さんもいろいろと模索なさったのですね。

 自分が出家したときと状況は大きく違いますが、いろいろと考えさせられるエッセイでした。

 



好きな家事・・・障子の補修

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 「家事で好きなことを挙げる」という質問がネットに出ていたのを偶然目にしました。家事は「やるべきこと」であって好きとか嫌いとかいう問題ではないと思うのですが・・・でも改めて考えてみると、私は食器洗いは大好きだけど(洗っている間、無念無想という感じ)、洗った食器を食器棚に戻すのは「仕方がなくやる」レベル・・・といったように、いろいろ差があるのに気が付きました。

 で、何が好きかなぁ・・・と思いながら庫裏の廊下を歩いていて気が付きました!私、障子の補修、大好きです。上の写真はネットの無料画像からお借りしたものですが、慈雲寺の障子もこんな感じにずらりと並んでいます。

 大分長い間張替えをしていないので、紙が弱っているからか、それとも私の動作が乱暴なせいか、気が付くと障子に破れめが!でも、私は予備の障子紙を切って張るのはお手の物、いろいろ工夫していました。

 その上、100円ショップにはステッカー式の障子補修材も売っている。桜の花びら型の補修材をペタペタ・・・デザインしながら補修していきます。楽しい。

 年末年始のバタバタで、今日の補修は3ヶ所。花吹雪みたいになっています。

 どうして障子の補修が好きなのか考えてみたのですが・・・ま、満足のいく結果がすぐに簡単に出るからかな?

 それともう一つ・・・父は長い間、新潟に単身赴任していました。秋の紅葉が始まると父からの手紙には、父らしく丁寧に押し花にしたヤマモミジなどの葉が添えられていました。母はそれを嬉しそうに障子に張っていたのです。

 母の嬉しそうな顔と障子の紅葉デコレーションが一つになって、私の思い出になっているのですね。

 ま、あんまり補修ヶ所が多くなったら、全面張替えも考えなくてはいけませんね。今は、ステッカー方式で張替えができる障子紙もあるらしいです。

 

今日は弘法大師のお言葉を読みながらのんびり・・・

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 今日は静かな一日でした。朝のお勤めをして、その後は一日、先日買ってきた本をパラパラめくりながらノンビリと過ごしました。

 その本の中に弘法大師のお言葉を集めたものがありました。パラパラと読む・・・とかノンビリと読む・・・なんて御大師さまに失礼に違いありませんが、集められて言葉の多くは弘法大師の広く、深い心を現しているものばかりなので、自然にくつろいでしまったという感じです。

 例えば、

凡そ詩は発首誠に難く、落句易からず  (文鏡秘密府論より)

 

 上の言葉を川辺秀美さんは「文章は最初の一言が本当に難しい。また、結びの一言も悩ましい。」と現代語訳しておられます。

 御大師さまは「詩」という言葉を使っておられるので、それを一般的な「文章」と解釈することが最適かどうかは少し疑問ですが・・・御大師さまの私と同じようなことで悩んでおいでだったのかと思うと、何だか少しホッとする感じです。まあ、同じ文章といってもレベルが比較にならないですから、「同じような悩み」なんて言えるわけではないですが・・・やっぱりちょっとだけ御大師さまに近づいたような気持ち。

 う~ん・・・図々しすぎるかなぁ。

 

◎今日の写真は明日香の博物館で見た7世紀の仏像です。とても可愛らしいお顔ですね。

初買い物は古本いっぱい!

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 今日は所用があって初外出。用事は5分で終わったのですが、そのまま街中へ出てみました・・・と、言っても、私は名古屋にいる時はほぼ引きこもり状態。赴任してから5年目に入ろうとしているのに、名古屋のことはほとんど知りません。

 お寺の近くの停留所から出るバスが鶴舞公園大須を経由して栄に行くので(一時間に一本)、ほぼそのルート内のみ。図書館、仏具店、そして古書店。今日はブックオフが20%off初売りセールだったので立ち寄ってみました。

 ライターにとって、自分の本が100円で投げ売りされているのを見るのは辛いでしょう。ブックオフは出版業界や古書業界にいろいろな意味で影響を与えていると思います。

 それでも、本を買う人がたくさんいるのを見るのは嬉しいものです。

 私も読者の立場なら、100~200円コーナーは必ずチェックします。普通の値段だったら買うのをためらうような本でも(知らない作者や普段は興味のない分野の本など)、その値段ならとりあえず買っておこうか・・・という気持ちになります。

 今日は押川剛の『子供の死を祈る親たち』という本を買いました。親の虐待、ひきこもり、子供の家庭内暴力などのルポのようです。かなり重い内容のようなので、自分の精神状態も考えて読み始めようと思っています。

 もう一冊は、『空海 人生の言葉』という本です。弘法大師のお言葉を川辺秀美という方が”編訳”したものです。へんやく???聞きなれない言葉ですが、平易な現代語の翻訳してということのようです。

 この本は前に同じものを入手したような気がするのですが、書棚に見当たらないので200円という値段に引かれて買ってしまいました。まあ、二重に買ってしまったなら、どなたかに差し上げても良いですね。

 ほかにもたくさん買ったので、読み終わったらまたご報告します。今夜は早めに布団に入って、何を読もうかなぁ。楽しみ、楽しみ。

◎今日の写真は洛北の大原で見たレトロな郵便受けです。

 

今日の法然房源空上人(法然上人)のお言葉 Part1

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 今年は、このブログで法然源空上人(法然上人)や、その高弟で法然上人の最も円熟した思想を直接受け継いでいる善慧房証空上人(西山上人)のお言葉をたくさんご紹介していこうと思っています。

 法然上人の残されたお言葉や著作の中で、私が何度も繰り返し読み、その度に「ああ、法然上人のお弟子にしていただいて良かった!」と思うのが、『百四十五箇條問答』です。

 これは、法然上人が宮中の女官や一般の庶民たちとの間に交わされた信仰上の質疑応答を集めたものです。当時の人々が何を悩み、何を不安に思っていたかが生き生きと伝わってきます。そしてどのような質問にも真摯に答える法然上人のお心の温かさと、阿弥陀仏への篤い信仰が感じられます。

 例えば

一、妻、おとこに経ならふ事、いかか候へき。

答、くるしからず

 

 自分の妻がお経の読み方や教えを誰かに習っているらしい男性からの質問です。

「私の妻が男性からお経を教えてもらっているのですが、いかがなものでしょうか?」

 質問者は、何が気になっているのでしょう?女性が、どんな理由であれ、男性から何か手ほどきを受ける、同じ空間にいる…ということ自体避けなければならなかった時代なのかもしれません。それとも、夫は自分の妻が自分の知らないところで変化することにおびえているのでしょうか?それとも単純な嫉妬?

 いろいろ想像してしまいますね。この「おとこ」とは誰でしょう?男性の僧侶でしょうか?それとも在家の熱心な念仏者でしょうか?

 しかし、法然上人のお答えは明快です。

「くるしからず」

 かまわなではありませんか・・・です。

 お経をならう、仏の教えを学ぶことこそが大事なことで、その他のいろいろな妄念は無意味ということでしょう。

 一緒にお経をならえばいいだけですよね。

 お寺詣り、お墓参りはぜひご家族ご一緒に!

◎今日の写真は洛北の大原で見た山茶花です。

 

 

イノシシの可愛らしい根付、占い付きです。&私の今年の運勢は??

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 「おみくじはありませんか?」という質問をおととしぐらいからしばしば受けるようになりました。特にお正月の間に、そのようなお声がけをたくさんいただきます。そこで、去年から干支の可愛らしい根付に占い(というより生活のアドバイスのようなもの)がついたおみくじを置いています。

 慈雲寺の属する浄土宗西山派西山浄土宗)では、基本的にはお守りやおみくじは置きません。浄土真宗のように「絶対だめ」というほどではないので、同じ宗派でも置いているお寺もなくはないのですが・・・・

 慈雲寺には弘法大師さまもお祀りしています。弘法大師は人々の現世利益の願いも聞き届けて下さるので、おみくじや干支の根付守りも良いのではないかと思いました。そこで、弘法大師でご祈祷した占いを置くことにしたのです。

 するとビックリ!一日で半分ぐらいに減っていました。お正月でも、お詣りに来る方は少ない慈雲寺としては驚きの結果です。まあ、イノシシの根付が可愛いからというのもあるかもしれませんが・・・・

 ところで、私自身が占いを信じるかといえば・・・・でも、中日新聞に掲載される干支占いは時々読みます。占い師の方の言い回しがなんとも微妙(どうにでも解釈できそう)な文章で、これは受け取る人の気持ち次第ということなのだなぁ・・・と理解しています。

 ちなみに私の今年の運勢は九星気学では「運気低迷」なのですが、十二支占いでは「欲するもののほとんどを獲得できる絶好期」だそうです。そして、星座占いでは「気持ちに焦りが出やすい年」だそうです。三つ合わせると、何だか辻褄が合いますね。いろいろうまく行きかけるので、調子にのると焦りが出て、運気が落ちる・・・落ち着いて暮らしなさいよということでしょう。自戒、自戒・・・・

◎今日の写真は伊豆の修善寺でみた竹林です。この竹のように今年はのびのび成長したいと思います。