慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

18日はお彼岸の入りの日です。ご一緒に『般若心経』読誦して、自らを省みる一週間をスタートしましょう。

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 18日は彼岸の入りです。お彼岸は季節の変化を大切にしてきた日本独自の宗教的慣習です。

 春分の日を中心に、前後三日間ずつ、ご先祖に感謝し、自分の今をゆっくりと省みる一週間です。

 彼岸の入りの18日の10時から、慈雲寺ではお彼岸の短い法要とお彼岸のお話をいたします。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にお参り下さいませ。

 この法要では、『般若心経』をご一緒に読誦したいと思います。このお経はとても短いものですが、仏教の教え、悟りの世界(彼岸)に至るための大切な教えが凝縮して述べられています。

 この教えは、現世(此岸)に生きている、「今の私」にも大切なものです。仏様やご先祖様の思いを受け止め、いかに苦しみ少なく、慈愛に満ちた人生を送るかをご一緒に考えてみましょう。



本当の“終活”とは何か? 三月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」のお知らせと慈雲寺へのアクセス

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3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時よりおこないます。

 お釈迦様は旧暦の2月15日に、現世の肉体から離れ涅槃に入られたと言われています。多くのお寺では、旧暦に合わせて太陽暦の3月15日前後に涅槃会を行っています。

 慈雲寺でも、今月はお釈迦さまの最晩年の様子をテーマにお話したいと思います。お釈迦様の“終活”はいったいどんなものだったのでしょうか?涅槃図を見ると、多くの弟子たちだけでなく、一般の信者や動物たちまで慟哭して別れを惜しんでいますが、『大般涅槃経』というお経によれば、お釈迦様は弟子を一人連れただけで遊行をしておいでの時に亡くなっています。

 お釈迦様の最晩年の様子から、私たちは何を学ぶことができるでしょうか?ご一緒にかんがえみましょう。

 「講座」という名前はついていますが、どなたでもお気軽にご参加くださいませ。

◎慈雲寺への交通アクセス

 申し訳ありませんが、慈雲寺には十分な駐車場がありません。なるべく公共交通を使っておいでくださいませ。近くの有松ジャンボリーSCに大きな駐車場があり、無料で駐車できます。そこからお寺まで、北へ徒歩5分。
 ★鉄道、バスのアクセス
 名鉄有松駅前から、「有松12番 有松町口無池行き 地蔵池経由」に乗ってください。日曜の9時台は二番乗り場から9時07分と36分に発車します。これらのバスに乗り、郷前(ごうまえ)の停留所でお降りください。そのまま道なりに進むと郷前の交差点に出ます。角に鍼灸院があり、その右手の細い坂道を上がると慈雲寺の屋根が見えてきます。
   また、時間はかかりますが、地下鉄の鳴子北駅から出ている「鳴子13番」のバスも郷前に停まります。日曜は8時45分に鳴子北駅からバスが出ます。
●栄のバスターミナルからは森の里団地行きのバスが一時間に一本出ています。この場合は、郷前の停留所から道を戻って郷前の交差点に行ってください。日曜は8時50分発があります。所要時間は約50分
●JRの大高駅から緑循環バスの名鉄有松行で郷前に行くことができます。日曜は8時44分と9時44分に出発します。9時台のバスですと10時の開始時間には少し遅れますが、あわてずにおいでください。
●また、同じ緑循環バスの名鉄有松行は南大高駅東にも停車します。9時9分発と10時9分発です。
●JRの共和駅からタクシーで5分。市バスはありません

戒名を授けさせていただくのは僧侶の喜び

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 今朝、家事をしながらラジオを聴いていたら、葬儀社がスポンサーとなっている番組の質問コーナーが聞こえてきました。

 今日の質問は「結婚して苗字が変わり、今の住所に引っ越してきたら、同姓同名の人が周囲にたくさんいることに気が付きました。私の戒名も、同じ戒名の人がたくさんいることになるのでしょうか?」というものでした。

 答えはごく素直に、「戒名は仏教徒になったときに与えられるもので、宗派によっても違うので、同じ姓名の人でも、同じ戒名になることはありません。」というものでした。

 質問者の方がなぜこのような疑問を持ったのかとても気になるところです。

 ひょっとしたら、自分の同姓同名の方の葬儀に参列して、「戒名は自分の名前に関連して付けられる」とでも聞いたのでしょうか?そして、自分もやがて同じ名前になると思ったのかもしれませんね。

 でも、この方は「戒名」というものに興味を持って下さったわけで、今こそ、仏教と出会う良い機会になるかもしれません。

 私は初七日の法要の後に、いつも、「戒名とは何か」というお話をさせていただきます。そして、それぞれの戒名に使われている文字の意味、経典から引用しているなら、そのことについてもお話します。

 戒名は、仏弟子になったことを示し、新たな名前を授かって、新しい道を歩み始めたことを表しています。

 親から授かった名前は、親の期待を込めたものでしょう。一方、戒名はその人の人柄や人生の歩んできた道を表現し、これから菩薩として歩み始める姿を象徴するものです。

 ですから、生きている間に、信頼できる僧侶とご縁を結び、戒名を授けていただくのが本来のあり方です。

 僧侶にとって、自分の弟子として極楽へ迎え取られる方々に名前を授けさせていただけることは、何とも素晴らしい体験です。その方の人柄、人生体験、家族や友人たちのとかかわり方などをうかがい、経典の中からふさわしい文字を選ぶのは、簡単ではありませんが嬉しい役目です。

 今日のラジオの質問者の方も、仏教や仏事に関する疑問を気軽に質問できる僧侶とご縁を結んでくれるといいですね。

 慈雲寺では、どのようなご相談、ご質問にもできる限りお応えします。難しい問題も、口に出して語ると、自分で光が見えてくることも少なくありません。

阿弥陀さまは誰でも、その身そのままで受け入れ、慈しんで下さっています。

◎今日の写真はインドのニューデリーで見たモザイク装飾です。

 

 

 

三月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」のお知らせと慈雲寺へのアクセス

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 お釈迦様は旧暦の2月15日に人間としての肉体を離れ、涅槃に入られたと伝えられています。多くの寺院では、新暦の3月15日前後に「涅槃会」を行い、お釈迦様の現世での最後の様子を偲びます。

 今月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、お釈迦様が涅槃にお入りになる直前のようすを詳しく述べた『大般涅槃経』というお経を基に、お釈迦様の最晩年の日々をご一緒に考えて見ましょう。

 最近は「終活」という言葉を耳にしますが、現状ではせいぜいお葬式の事前予約をしておく・・・ぐらいな方が多いのではないでしょうか?

 お釈迦様も「終活」をなさったのでしょうか?

 いったい本当の終活とはなんでしょう?

 どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

     3月17日(日曜)10時より

◎◎慈雲寺への交通アクセス

 申し訳ありませんが、慈雲寺には十分な駐車場がありません。なるべく公共交通を使っておいでくださいませ。近くの有松ジャンボリーSCに大きな駐車場があり、無料で駐車できます。そこからお寺まで、北へ徒歩5分。
 ★鉄道、バスのアクセス
 名鉄有松駅前から、「有松12番 有松町口無池行き 地蔵池経由」に乗ってください。日曜の9時台は二番乗り場から9時07分と36分に発車します。これらのバスに乗り、郷前(ごうまえ)の停留所でお降りください。そのまま道なりに進むと郷前の交差点に出ます。角に鍼灸院があり、その右手の細い坂道を上がると慈雲寺の屋根が見えてきます。
   また、時間はかかりますが、地下鉄の鳴子北駅から出ている「鳴子13番」のバスも郷前に停まります。日曜は8時45分に鳴子北駅からバスが出ます。
●栄のバスターミナルからは森の里団地行きのバスが一時間に一本出ています。この場合は、郷前の停留所から道を戻って郷前の交差点に行ってください。日曜は8時50分発があります。所要時間は約50分
●JRの大高駅から緑循環バスの名鉄有松行で郷前に行くことができます。日曜は8時44分と9時44分に出発します。9時台のバスですと10時の開始時間には少し遅れますが、あわてずにおいでください。
●また、同じ緑循環バスの名鉄有松行は南大高駅東にも停車します。9時9分発と10時9分発です。
●JRの共和駅からタクシーで5分。市バスはありません



東日本大震災の犠牲者の菩提を弔う

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 東日本大震災から8年がたちました。この震災は、私が日本へ戻るきっかけの一つにもなりました。震災で流された墓地から遺骨を集めるボランティアをしたことで、「僧侶としてできることは何か?」と自分に問いかける日々が、まだ続いています。

 私は旅行ライターによって糊口をしのいでいますので、現地に旅行をして直接被災地の人々に経済的な効果を少しでも及ぼすようにすることの大切さを訴えるのも、自分の役割とも思っています。

 スマトラ沖大地震の後に、マレーシアやインドネシアに取材に行った時も、政府の援助金が現地の人の手に渡るまでには時間がかかる。旅行者が、食事や宿泊、お店や各種のサービスに対する対価を支払っていくことの「即効性」が大切であることを何度も現地の人から聞きました。

 今、私たちができることの一つは、今、被災地で何が起きているのかということに関心を持ち続けることだと思います。ボランティアに行くのも良いでしょうし、義援金を送り続けることも大事です。

 しかし、東北に直接出かけてみませんか?被災地の今を直接体験してみませんか?東北の桜の美しさはまた格別です。浄土ヶ浜などをはじめとして、被災した観光地も復興しつつあります。

 東北へ旅に出ることが、今後の私たちの支援の方向を示してくれるのではないかとも思います。

f:id:jiunji:20190311191753j:plain浄土ヶ浜

 

 今日は夕方のお勤めの時に、心をこめて東日本大震災の犠牲者の方々の菩提をご供養させていただきました。

◎今日の写真もエクアドルで見た蘭の花です。

 

始まりがあれば、必ず終わりも来る

f:id:jiunji:20190310183409j:plain 前回は、パンナム航空のような世界的な企業でも今は無い…すべてのものは無常で、始めがあれば必ず終わりが来る・・・というお話を書きました。パンナムとは比べようもありませんが、私にも無常の風が吹いてきました。

 私は日本に戻ってから、ひょんなご縁で旅行読売という雑誌に連載記事を書かせていただくことになりました。実は、「連載」というお仕事は初めて!。さらには日本の国内を取材して書くのも初めて!という、なんともありがたいお仕事でした。

 その連載が打ち切りという通告をいただいたのです。この雑誌では、三年以上連載が続くのはめったにないとのことで、丸三年続いた私の記事は、担当編集者の方いわく「大往生」だそうです。編集長からも丁寧なごあいさつをいただき、哀しいけど、嬉しい。何か大きな失敗をしたり、人気がなくて打ち切りというわけではないので(いや、人気がすごかったら三年以上でも続いたでしょうが・・・トホホ)、これも無常の風が吹いたと諦めるしかありません。

 仏教ではこの諦めるはgive upのあきらめるではなく、ものごとの無常の道理をあきらかに見るという意味です。仏教では、始まりがあれば、必ず終わりがあるので、終わることに執着しても苦しいだけと教えています。

 もちろん、なんでも簡単にギブアップしろと言っているのではなく、一つ一つの仕事をきちんとやり遂げたら、それが終わることになっても執着するなということです。

 そして、一つ終われば、それはまた別のことが始まるということでもあります。

 実は先日から、私はローカルの新聞とライターとして契約をしました。慈雲寺のある名古屋市緑区内のイベントなどの取材をするお仕事です。昨日、その新聞に初めて私の記事が出ました。旅行関係の記事ではないので、私にとっては全く新しい分野。

 また一からスタートですが、何だかわくわくして嬉しい!

◎今日の写真はエクアドルで見た蘭です。

 



兼高かおるさんの取材ノート

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 2月28日、1月にお亡くなりになった旅行ジャーナリストの兼高かおるさんを偲ぶ会が、東京のホテルニューオータニで開かれました。

 私は生前、一度短いインタビューをさせていただいたことがあるだけのご縁でしたが、兼高さんが会長をなさっていた日本旅行作家協会に属しているので、この偲ぶ会にご招待いただきました。

 会場には400名を超える人たちが集まり、哀しみの中にも、それぞれの「兼高さんとの思い出」を楽しそうに語り合っていました。正面には美しく歳を重ねられた兼高さんの写真と、地球儀をイメージした献花台が作られていて、参加者はそれぞれバラの花を献花台に捧げていました。

 会場には、兼高さんが世界各地を旅している時の写真が飾られ、ゆかりの品も展示されていました。

 特に印象的だったのは兼高さんの取材メモ帳です。

 手袋をお借りして、ノートを開くと、踊るような字で「その瞬間」を切り取る言葉が並んでいました。

 几帳面な印象はあまりなく、次々と膨らむイメージのキーワードになる言葉を急いで書き込んだという感じでした。兼高さんの資料を管理している方にうかがうと、このメモをもとに、旅が終わると詳しく資料を調べたりなさっていたそうです。

 兼高さんの知的好奇心がキラキラと輝いてノートに刻まれているような気がしました。

 「兼高かおる世界の旅」というTV番組は、女性でもこんな仕事をして世界中を飛び回ることができるのだと私に教えてくれました。私が旅行ライターになったきっかけの一つと言っても良いでしょう。その意味では兼高さんは、私の生涯の恩人の一人です。

 このノートの横には、兼高さんのスポンサーだったパンナム航空の航空バックがいくつも飾られていました。パンナムの飛行機に乗る・・・というのも、私のあこがれの一つでした。

 私が初めてパンナムの飛行機に乗ったときには、パンナムはすでに業績がかなり悪化している時でした。それでも、ニューヨークでパンナム本社の建物を見上げた時には、感慨深いものがありました。

 そのパンナムも今はなく・・・すべては無常なのですね。