門前に地蔵堂が二つあります。江戸時代に村の道標になっていた石地蔵を集めてお祀りしてあります。地元の人の中には「小さなときからこのお地蔵様にお参りしていた」という人も多く、毎日散歩の途中に立ち寄る方もいます(本堂の阿弥陀様にお参りしてちょ~!)。初詣にもいらっしゃる方があると思い、大晦日の夜中にも扉を開けておきました。
すると!今朝、お堂を見ると・・・ああ・・・お賽銭箱がカラ!昨日の昼間にお墓の掃除にいらした方々がお賽銭を奉納しているのを見かけましたから、どうやら賽銭泥棒がいたようです。以前にも書きましたが、私は泥棒を恐れて賽銭箱に鍵を掛けたり、本堂を閉め切ったりするのは本来のお寺のありかたではないと思っています。
今回の賽銭泥棒でも、鍵を付けるつもりはありません。泥棒に対する怒りも湧いてきませんでした。でも、とてもとても哀しくなりました。元旦から仏罰もおそれず(法然上人の教えからすると『仏罰』というのはないのですけれども・・・)賽銭に手を出してしまうのは、よほど追いつめられていたのでしょうか?あのお金で温かで、栄養のあるものを食べてくれるなら良いのですが・・・お酒やギャンブルに使って欲しくないなぁ。ましてやふざけて、スリルを味わいたいだけで盗っていったのだったら、とても哀しい気持ちです。
一年の最初から、ちょっと「事件」がありました。でも、心安らかに一年を始めます。いや、去年やりのこした自室の掃除のこと考えると、あんまり心安らかでもないけども。
・今日の写真はアメリカのデンバーでみたかわいらしい風見鶏(風見犬?)です。今日の話題はちょっと哀しいので、気分を変えてみました。