四月の中旬から下旬にかけて、浄土系のお寺では「御忌」の法要をします。御忌というのは、もともと天皇や皇族など、高貴な方々の祥月命日を指すことばですが、勅命により、特別に徳の高い僧侶の命日にも「御忌」という言葉が許されているのです。
法然房源空上人(法然上人)が遷化されたのは旧暦の一月ですが、寒さの厳しい季節をさけ、気候がよくなり参拝しやすくなって法然上人の御忌法要を勤め、上人のお徳を讃えようということで、四月に行われるようになりました。
名古屋市から近鉄線で少し西に行ったところにある蟹江という町のお寺も、毎年桜の満開の時期に御忌法要をなさっています。法応寺は15世紀から続いている由緒ある寺院です。300年前に建てられた山門の前に大きく枝を広げた桜の木があります。満開のころにはライトアップもされ、毎年たくさんの方が楽しみにしていらっしゃるそうです。もちろん、私も楽しみにしていたのですが、今年の桜はアッいう間に満開になってしまし、強風の日が数日続いたのもあって、すでに散ってしまっていました。でも、少しだけ散り残っている花の愛らしかったこと!
さて、御忌の法要には、法然上人のご生涯をテーマにしたお説教が欠かせません。説教師を目指す者にとっては、この御忌法要のお説教をするのは、とても名誉なことですが、それだけに準備も十分にしなければなりませんし、緊張もします。
お説教に呼ぶ側も、初めての説教師の場合、どんなお説教をするかわからないわけですから、たぶんとても心配なさっていたはずです。
御忌のお説教は久しぶりなので、前日は緊張して良く眠れませんでした・・・当日の朝は、少し早めに慈雲寺を出て蟹江に向かいました。駅を降りてゆっくり歩いていきます。名古屋から急行で10分ほどなのに、なんだか遠くに旅してきたようです。かつての城下町で歴史のあるところですから、穏やかな情緒が感じられます。温泉もあるようです。
法応寺の見えるところまで来て、小さな神社の境内で一休み。思わず鎮守様に手を合わせて心が落ち着くようにお願いしてしまいました。
◎今日の写真はタシケントで発掘された10世紀のガラス器です。冷たい水を満たしていたのでしょうか?それともワインかしら?