慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

10月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、10月27日(日)10時より行います。テーマは「行きつけのお寺の見つけ方」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

戒名(法名)における性別について

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 今日、とても興味深い記事を読みました。性同一性障害という自己認識を持つAさんは、熱心な仏教徒です。Aさんは、生きている間に受戒し、戒名を授かりたいと願っています。

 しかし、Aさんは肉体的には女性ですが、「自分は本質的に男性だ」と感じています。女性の肉体に男性の魂が囚われていると感じているのです。親に付けてもらった名前は仕方がないものの、自分が肉体から解放された後にも残る名前は、男性のものが欲しいと僧侶に相談を持ち掛けたのです。

 その記事には、相談を受けた僧侶がどういう結論を出したのかは、はっきり書かれていませんでした。「こういう相談があった。」という例として出し、私たち僧侶全体に問いかけているのです。

 戒名は信女・信士とか、居士・大姉とか、性別が明らかにわかるものがほとんどです。浄土真宗では、「釈〇〇」という法名を授けるのですが、かつては女性には「釈尼〇〇」とすることが習わしだったようです。しかし、現在は男女の区別なく、「釈〇〇」もしくは「〇〇院釈〇〇」とする例がしばしばあります。

 私は、全てを「釈」で統一する、すなわち、全ての人が釈迦の弟子として極楽へ迎え取られるという考え方はとてもスッキリすると思います。

 しかし、私は慈雲寺の属する浄土宗西山派西山浄土宗)の伝統である「空号」を入れた戒名を大切に考えています。戒名はその人の人生を象徴する意味も大きいので、シンプルがベストとは思えません。もちろん、誰にでも院号、空号をつけて仰々しくせよというのではありませんが・・・・

 さて、私がもしAさんのようなご相談を受けたなら、居士や禅定門など、通常男性に授ける戒名を考えると思います。ただし、生きている間に戒名を受けようとするなら、自分が性同一性障害を抱えていることを明確にカミングアウトすることをお勧めするでしょう。

 仏教は執着、こだわりからできるだけ離れることが、穏やかな暮らしの基本だと教えています。戒名もこだわりの元であってはなりません。生きている間に僧侶とのご縁ができたのなら、十分に話し合うことが大切です。

 極楽浄土へ迎え取られたら、性別は関係なくなるはずです。仏様も菩薩さまも、性別はないのですから・・・戒名の「性別」にこだわるのも、また執着です。

 もし、戒名のことで御心配があるなら、まず菩提寺の和尚様と相談してください。もし、僧侶とご縁のない方でしたら、慈雲寺においでいただいてもかまいません。お気軽ご相談ください。

◎今日の写真はウズベキスタンの焼き物です。シルクロードを旅した茶碗かもしれませんね。