今日は彼岸の入りです。慈雲寺の墓地にも早朝からお参りの方が見えていました。「暑さ寒さも彼岸まで」という言い方がありますが、本当に今日はおだやかな一日でした。甕の底の方にじっとしていたメダカが上の方に上がってきて、ようやく顔を見せてくれました。何匹越冬できたのでしょう。
さて、このお彼岸の間は、六波羅蜜を心がけて暮らしていきましょう。六波羅蜜は、苦しみの多い私たちの人生を穏やかに暮らすための「善行」です。お釈迦様は、善き行いは善き結果をもたらす「善因善果」と教えて下さいました。
末法の世に生きる凡夫の私たちは、なかなか「善行」を積むことは難しいですが、少しでもできることをしようと心がけるのが、念仏者の生き方です。
六波羅蜜の最初に述べられているのは「布施」です。他の人のために施しをさせてもらう修行です。布施にはさまざまな種類があります。他の人に親切にすること、笑顔をむけて、優しい言葉をかけることも「布施」の行です。
自分が大切にしているものを喜んで捨てる「喜捨」が布施の基本です。私たちが日常の中で、最も大切にし、こだわっている、惜しんでいるのはなんでしょう?お金ではありませんか?
お金は、自分の大切な時間、命を使って得るものです。それに執着するのは当たり前かもしれません。それを他の人のために喜んで捨てるのが布施なのです。執着を離れるという仏教修行の目指すもののために大切な修行になるはずです。
慈雲寺に赴任してから、一番困惑する質問は「お布施はどのぐらい差し上げたら失礼ではないでしょうか?」という質問です。布施は「喜んで捨てる」というところが肝心なのですから、「お気持ちで」としか答えることができません。
布施は料金ではないのですから・・・「失礼」かどうかが問題になるはずがないのです。お寺を大切にしたい、尊敬できる僧侶を支えたい、だから布施をする・・・というように心から思っていただけるように、僧侶は努力を続けなければいけませんね。