今日は、彼岸の入りの日です。お彼岸は春分の日を「中日」として、前後3日ずつ七日間続く、日本独自の宗教的慣習です。
今朝は慈雲寺でもお彼岸の法要をしました。お寺の掲示板にお知らせを貼っただけなので、もしかしたらどなたもおいでにならないかも・・・と思っていたら、4人の方が一緒に読経をして下さいました。なんとも嬉しいことでした。
お彼岸の法要の時は、「六波羅蜜」についてお話をするのが一般的です。中日の前後の3日間ずつに、六つの波羅蜜をあてはめて、その大切さを説くのです。
ところが、今日は「六波羅蜜」のお話をしはじめたら、なんと!六種類の波羅蜜が口から出てこない!六波羅蜜は仏教の基本中の基本・・・ど忘れでは言い訳できません。
頭が真っ白になり・・・いよいよ老化が・・・と泣きそうになりました。
そこで、反省をこめてこれからお彼岸の間は、このブログで六波羅蜜について書いていこうと思います。
第一回目の今日は、「波羅蜜とは何か」がテーマです。
「波羅蜜」は、サンスクリット語のpāramitāの音を漢字に当てはめたものです。大乗仏教で、彼岸(悟りの世界)へ赴くために修行者が行うべき徳目のことをいいます。
これを大きく、布施(ふせ),持戒,忍辱(にんにく),精進,禅定(ぜんじょう),智慧の六つに分類します。実は智慧は、他の5つの徳目の根拠となるものなので、]修行の徳目というのとは、意味合いが違うと言って良いでしょう。
もちろん、末法の世界に生きる凡夫の私たちは六波羅蜜を実践 するのは至難のことですが、ありがたいことに、阿弥陀仏は私たちの代わりにすでに、これらの修行をすべて成し遂げていらっしゃるのです。
この身このままで阿弥陀仏に迎え取られているからこそ、自分のできる範囲で、六波羅蜜の実践を心がけるのが、浄土教の仏教徒の生き方の指針です。
◎今日の写真は空也上人で有名な京都の六波羅蜜寺の踊念仏の法要の様子です。私も一度、この法要に参加させていただきましたが、予想以上に激しい動きと迫力あるお念仏で、見るだけでも感動的な体験でした。