慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

お彼岸中は六波羅蜜を心がけてみましょう Part5

f:id:jiunji:20200325214209j:plain

  新型コロナウイルスの状況が刻々と変化していくのをテレビやネットのニュースで見ていたら、お彼岸がアッという間に終わってしまいました。

 人々の不安が高まっている中、宗教者こそ、落ち着いて思考、行動できるようにしなければならないのに、心がざわついているので、時間の流れも不自然に感じられます。

 六波羅蜜の最後の二つは「禅定」と「智慧」です。禅定は精神を集中させ、自己と周囲の状況、自然のありのままの姿を深く見つめることです。

 禅宗はこの禅定を修行の中心においていますが、精神を集中させることは、さまざまな宗教、宗派で重要視されています。しかし、法然上人、そしてその弟子の證空上人は、末法の時代に生きる凡夫は、心は常に散乱し、深い禅定に入ることは極めて困難であると見ています。

 私たちの心は、枝から枝へ飛び回る猿のように落ち着きなく揺れ動いているものです。そんな散乱した私たちの心をそのまま受け止めて下さるのが阿弥陀仏です。私たちが揺れ動く心のままに阿弥陀仏におまかせすることによって、ようやくホッと一息・・・ここに心の本当の安らぎが生まれてくるのです。これを安心(あんじん)と呼んでいます。

 普通に使われる安心(あんしん)とは根本的に違う、けして私たちを見捨てない仏の慈悲につつまれる深く穏やかな心の安らぎです。

 

 そして、六波羅蜜の最後は「智慧」。悟りの智慧を得ることです。これは修行方法というより、そこへたどりくつための究極の目的と言って良いでしょう。仏教の目的は、悟りの智慧を得ることです。

 しかし、これも末法の凡夫にとっては全く不可能と言えるでしょう。しかし、私たちは阿弥陀仏の深く、広い智慧の光の中に迎え取っていただいているのです。安心しておまかせしてしまいましょう。

 でも、この本当の「安心」(あんじん)をいただいたら、何もしなくて良いのではなく、阿弥陀仏に願われている、救われている喜びを行動示していきましょう。

 善いことをする、悪いことをひかえる、他の人のためになることをさせてもらう・・・ここからが出発点です。

 これを證空上人は「安心の上の起行」と教えています。

 

◎今日の写真は、東京の大田区にある鵜木の光明寺でみた椿です。