お彼岸も終わりに近づいてきました。
今日はお墓参りの帰りに、「庵主さんのお話したい」という方が二人見えて、ひとしきりお話されていきました。こんな風に、「胸につかえていることがあるときは、慈雲寺の尼さんのところへ行ってみよう!」と思って下さる方がいることは、とても嬉しいことです。
私には的確なアドバイスをする力はありませんが、「聞く耳」は少しあるようです。しばらく、胸の中にわだかまっているものを言葉にしていくうちに、多くの方が自分で方向を見出していかれます。私は、仏教というものの見方、考え方を少しお話すると、選択肢が一つか二つ増える感じでしょうか。
選ぶのは結局本人。仏さまの前でゆったりした時間を過ごすと、ざわついた心が落ち着いてくるので、よりよい選択をする可能性も高くなるはずです。これを「仏様のお導き」として素直に受け止めることが大切です。
さて、お彼岸の間に、悟りへ導く六つの仏教的実践「六波羅蜜」のお話を続けましょう。六波羅蜜の四番目は「精進」です。正しい努力を続けていくことを意味します。仏教では「続ける」ということを重視します。
それを「くせ」のようなものと言っても良いかもしれません。良いことをすれば、それが因となり縁となって、良い行いが続いていく、そしてそれが「くせ」になっていく。
反対に一つの悪が次の悪因、悪縁を生んでいく。「嘘つきは泥棒の始まり」という言葉に象徴されるように、たとえ小さな悪行でも、それがどんどん雪だるまのように膨らんでいくのです。
「自業自得」の「業」はこうした、積み重ねの生むものと言っても良いでしょう。自業自得というと悪いことばかりに使われがちですが、善き行いは、良い業をに結びついていくのです。