お釈迦さまの弟子はたくさんおられましたが、その教えを深く学んだ10人の弟子は「十大弟子」として知られています。『般若心経』の中で、なんども「舎利子」と呼びかけられている智慧第一といわれるシャーリプトラをはじめ、前回からお話している阿難尊者もその一人です。
阿難尊者(アーナンダ)は釈迦の侍者として、25年にわたって常のお釈迦さまのそばにいた人です。釈迦の教えを直接聞いていたにもかかわらず、釈迦の存命中には悟りが開けなかったそうです。しかし、お釈迦様の教えを良く記憶にとどめており、経典を編纂する際、彼の記憶が大きな力となったのです。
釈迦のそばで教えを聞いていたのに、なぜ悟れないのか、ずいぶん悩んだと伝えられています。お釈迦さまは、けして「早く悟れ」とは指導せず、機が熟し、縁が整うのを待っておられたのでしょうね。
さて、この阿難尊者こそ、釈迦に女性の弟子入りを薦め、尼僧教団の成立を認めさせた方なのです。お釈迦様は、自分の育ての親であるマハーパジャパティが出家したいと申し出たときも、それを許さなかったといわれています。
しかし、彼女は出家を諦めきれず、髪を切って、裸足せ釈迦の後を追ったそうです。このことを知ったアーナンダは釈迦に女性の出家を許すように願い出ました。釈迦は何度も拒否したのですが、とうとうアーナンダの主張を受け入れたのです。
アーナンダは、いつも寡黙で、けして釈迦にたてついたりしたことがなかったのに、女性の出家についてだけは、強くその正当性を主張したのだそうです。
阿難尊者は、すべての尼僧の恩人ですね。