慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

女性の出家をお釈迦様に提言して下さった阿難尊者 part 2

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ネットからお借りした阿難尊者のお姿です。これなら「元祖美坊主」という声が出ても不思議ではありませんね。

 

 お釈迦さまの弟子はたくさんおられましたが、その教えを深く学んだ10人の弟子は「十大弟子」として知られています。『般若心経』の中で、なんども「舎利子」と呼びかけられている智慧第一といわれるシャーリプトラをはじめ、前回からお話している阿難尊者もその一人です。

 阿難尊者(アーナンダ)は釈迦の侍者として、25年にわたって常のお釈迦さまのそばにいた人です。釈迦の教えを直接聞いていたにもかかわらず、釈迦の存命中には悟りが開けなかったそうです。しかし、お釈迦様の教えを良く記憶にとどめており、経典を編纂する際、彼の記憶が大きな力となったのです。

 釈迦のそばで教えを聞いていたのに、なぜ悟れないのか、ずいぶん悩んだと伝えられています。お釈迦さまは、けして「早く悟れ」とは指導せず、機が熟し、縁が整うのを待っておられたのでしょうね。

 

 さて、この阿難尊者こそ、釈迦に女性の弟子入りを薦め、尼僧教団の成立を認めさせた方なのです。お釈迦様は、自分の育ての親であるマハーパジャパティが出家したいと申し出たときも、それを許さなかったといわれています。

 しかし、彼女は出家を諦めきれず、髪を切って、裸足せ釈迦の後を追ったそうです。このことを知ったアーナンダは釈迦に女性の出家を許すように願い出ました。釈迦は何度も拒否したのですが、とうとうアーナンダの主張を受け入れたのです。

 アーナンダは、いつも寡黙で、けして釈迦にたてついたりしたことがなかったのに、女性の出家についてだけは、強くその正当性を主張したのだそうです。

 阿難尊者は、すべての尼僧の恩人ですね。