慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

恩人の墓参(その1)

 私が旅行ライターになった切っ掛けは、ほんの偶然でした。カナダの日系新聞に時々記事を書かせてもらっていたのですが、その記事を読んだある出版社のオーナー社長が、「ガイドブックを書いてみないか」と声を掛けて下さったのです。社長の気まぐれ(?)が無ければ、私の旅行ライターとしての人生は無かったと言って良いでしょう。

 社長の会社はどんどん成長し、旅行書や地図の分野では日本屈指の会社になりました。「オーナー社長の推薦」という鳴り物入り(?)で入ったものの、旅行ライターとしての経験はゼロ。担当編集者の方や制作の担当者の方々には、ずいぶんご迷惑をかけたと思います。

 おそらく、一人の著者として一冊のガイド本の全てを書くという「贅沢」をできたのは、私にとって何よりの幸せでした。プロダクションが仕事を請け負い、たくさんのライターが一斉に取材に行って作る方が速いし、コストも低く抑えられるのですから。

 私は企画から内容まで全て自分の思い通りに取材して書くことのできた最後の旅行ガイド本ライターなのではないかと思います。

 それもこれも社長のおかげ。一生の恩人とはこの方のことでした。

 

 しかし、911同時多発テロで、日本から北米への旅行客は激減。インターネットの普及につれて、紙媒体での情報発信も難しくなっていました。そうなると、個人著者のガイド本は真っ先の壁にぶつかりました。

 社長も会長にしりぞき、現場に声を届けることも少なくなったようです。私も社長の会社との契約を打ち切られ、雑誌や新聞、各地の観光局のお仕事などをするようになりました。

 社長とお会いする機会もほとんどなくなり・・・・いや、契約を終結した後も、お会いしようと思えば会えたはずです。特に会長になられてからは、激務からも離れられたのだから・・・・日本に戻ってから、すぐにご挨拶にうかがうべきでした。

 いつか、いつかと思いながら、結果的には社長は逝去され、私は大きな悲しみと後悔に悩むことになりました。(つづく)