慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

9月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は9月24日日曜10時より行います。テーマは「彼岸へ至る道の歩み方」です。どなたでもお気軽にご参加ください。

「暴力以外の解決手段を知らなかった」川崎・中一殺害犯の人生

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 今日の新聞には宗教者として問われるものの多い記事がいくつもありました。その一つは、昨年二月に神奈川県川崎市の河川敷で中学一年生が殺害された事件です。殺害には複数の少年が加わったのですが、その中心となった19歳の少年の裁判が続いています。少年は殺害当時の状況を「最初は脅すつもりで切り付けたが、やめられなくなった」と供述したそうです。

 これに対し、少年の弁護人は、少年が両親から暴力をうけたり、長時間正座させれれるなどの虐待を受けて育ったと説明し、少年は「暴力以外の解決手段を知らなかった」と述べたというのです。少年の犯した犯罪は重いものです。育った環境だけで情状酌量されるべきものではないでしょう。しかし、本当に「暴力以外の解決手段を知らない」で育ってきなのなら、哀れに思えてなりません。

 親から虐待を受けて育った子供は、自分が親になったとき同じように虐待してしまう可能性があると言われています。もちろん、親に手ひどい暴力を受けても、圧倒的多数の人は犯罪を犯したり、虐待の連鎖を作って行ったりしないでしょう。しかし、仏教では「怒り」というものを毒蛇の毒よりも危険なものだと教えています。

 子供の躾けは親の大切な役割であり、豊かな愛情に包まれたうえで、きちんと躾をうけた子供は幸せです。しかし、怒りにまかせて子供を「躾け」ても良い結果が出るわけはないでしょう。親の身勝手や、盲目的な愛情(というより親の執着)を押し付けるような「躾け」もまた悲惨な結果につながりかねません。

 怒りを爆発させることで、家族を屈服させ、言うことを聞かせるような親がいた場合、子供たちへの影響は深刻です。ものの見方、問題の取り組み方、解決の方法などは、まず親から教えられるものだからです。

 家庭にお仏壇のような「祈りの場」があり、感謝と喜びに満ちた生活の中で育つ子供は幸せです。人生のさまざまな問題への取り組み方も学べることでしょう。心に怒りがわいてきて、独りでは止めることができないとき、ぜひお寺に来てください。慈雲寺の阿弥陀様はいつでも柔らかな笑顔で迎えてくださいますよ。

◎今日の写真は北京の郊外で見た落日です。極楽は遥か西方にあると言われていますが、美しい落日を見ると極楽は案外近くにあるようにも思えます。