慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

兄弟子のお説教を聴きにいく Part1

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 私を得度させて下さった(僧侶にならせて下さった)最初の師僧は、私の属する浄土宗西山派西山浄土宗)を代表する説教師(布教師)の一人でした。

 在家の人間を僧侶にリクルートするのが趣味(?)で、20人を超える弟子を持っていました。これだけの弟子を抱えるのは、精神的にも、経済的にも、かなりな負担だったはずですが、師僧はいつも「阿弥陀さんがなんとかしれくれる。おまかせしといたらええんや。」というばかりでした。

 私は「阿弥陀さんがなんとかしてくれる」という、「阿弥陀頼み」の真意を長い間理解できず、無責任なことを言う人だと少々反発していたものです。

 しかし、今、檀家ゼロのお寺の住職をするようになって、ご本尊に「おまかせします」という気持ちにしかなれないなぁ・・・師僧が言っていたのは、このことかなぁ??と思い当たることが時々あります。

 先日、お隣のお寺でお十夜の法要があり、私の兄弟子がお説教師として招かれました。この兄弟子は、師僧の最初の弟子です。小学校の四年生の時に、師僧のお寺の小僧になって修行を始めた方です。ちなみに私は13番目の弟子です。

 兄弟子は、岐阜の奥地にある大きなお寺の住職ですが、説教師として宗門の中で重きをおかれている存在です。布教の研修会などで、この兄弟子が模範説教を披露してくれるのを聴かせてもらったことは何度かあるのですが、檀家さんの前で長時間の説教をする場に参加させてもらうのは今回が初めてでした。

 僧侶は、なかなか他の布教師のお説教を聴く機会というのはないものです。私は、できるだけ機会を逃さずにほかの僧侶の方のお説教を聴かせていただきに行くのですが、自分の宗門内だと、かえってチャンスがないものです。他のお寺の行事に押しかけて行くわけにもいかないので・・・

 師僧は、私たち弟子に布教師になるように勧めたりはしませんでしたし、手取り足取り「技を伝授する」というのでもありませんでした。私は「放牧」状態だったと言ってよいかもしれません。しかし、十分に大切にしてもらったという思いも強いのです。

 小僧として一緒に暮らした兄弟子とは師僧への思いも随分と違うことでしょう。

(つづく)

◎今日の写真は、西山浄土宗の総本山光明寺にある法然源空上人(法然上人)の御本廟です。法然上人の御遺骸は、光明寺で荼毘に付され遺灰はここに埋葬されました。嵯峨の二尊院や東山の知恩院にも分骨されて御廟があります。