たった今、新聞を開くと先日のジャーマンウイングス社の旅客機の墜落が、副操縦士の意図的なものであった可能性が高いという記事が出ていました。自爆テロなのか、自殺なのか・・・・
私は自殺についていつも心にかかっています。今回の記事を見て、また色々思いが込み上げてきました。このブログでも何度も書いているように、「人を殺さない、殺させない」というのは仏教の最も根源的な原則です。ですから、戦争を肯定する「大義」には懐疑的だし、死刑も反対、そして自殺も認めてはいません。
とりわけ、最近は自殺を「自死」と言い換えることを深い違和感をおぼえます。私もごく近しい人を自殺で失っていますから、「殺」という言葉に傷つくというご遺族の方々の気持ちは想像できます。せめて「自らを殺す」ではなく、「自ら死をえらんだ」と言い換える配慮はすべきだという主張にも理解はできます。
しかし、それでもなお、他者はもちろん、自分も殺してはいけないという姿勢をきちんと示すのが宗教者だと思います。自分の思いを整理し、お釈迦様の教えに根差したうえで、ご遺族や関係者の哀しみにどう寄り添えるのかが難しいところです。
私も30年前にかなり重症の鬱病になったことがあります。雨が何日も降って、「明日も雨だったら、死んでしまおう」と思うほど追いつめられた気持ちになったこともあります。たまたま、翌日はきれいな青空!!だったのですが・・・・
苦しいときはお寺にいらしてください。私はヘッポコ坊主ですが、お話しを聞く耳はあります。何も心からこぼせないほど苦しいなら、黙って写経をしてもいいし、本堂に座って、阿弥陀様を眺めるだけでもいいのです。慈雲寺の阿弥陀様はノホホンとした優しいお顔です。ハンサムな弘法さんもおいでですよ。あ、黙々と境内の雑草取りというのもいいかも???
本堂の扉が開いているときは、どうぞ自由にお入りください。
・今日の写真はスエーデンのお城で見た貴族の少女のポートレート。知的好奇心にあふれた、なかなか良いお顔だと思いました。