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日本に戻って来て1年半ですが、未だに慣れない言葉がいくつかあります。「みんな」というのもその一つ。特に「みんなが言っている」と言われると、大勢の「みんな」が言っているのかと、もともと気が小さい私(?)はオロオロしていまいます。でも、「みんな」って誰なのでしょう?
もちろん、ぞれぞれの人の性格もあるのですが、カナダでは「私はこう思う」とか「私に言わせれば」というように、「私」が前に出てくるのが多いのですが、日本では、たとえ自分自身の意見でも「私」ではなく「みんな」を使うことが多いように思えます。そのほうが耳当たりが柔らかいからでしょうか。あまり「私」、「私」というのは自己中心的と思われるというのもあるかもしれません。
もちろん、本来「みんな」という言葉は「みんなで協力する」とか「みんなで励ましあう」とかいうように、良い意味で使われるべき言葉でしょう。
しかし、お釈迦さまは「犀(サイ)の角のごとく一人で歩め」とおっしゃっています。お釈迦さまは私たちが歩むべき道を示して下さっています。「みんながやっているから」といってその道から外れるくらいなら、一人で進むべきです。
自己中心的とか傲慢、頭が固いなど、「独り歩き」はマイナスに働くことも多いかもしれませんが、「みんな」という言葉に惑わさる危険も忘れてはならないでしょう。
「進め一億火の玉だ!」というスローガンに押されて、第二次大戦になだれ込んでしまった歴史も忘れてはならないと思います。
◎今日の写真はコロンビアの博物館で見た2000年前の粘土で作られた犬です。目じりがおもいきり下がっているのがかわいいですね。