慈雲寺の近くに「チェルシー」という喫茶店があります。昭和の香りがそのまま残されているような雰囲気。朝はモーニングを楽しむ昭和生まれの人たちでいつもいっぱいです。午後3時には閉店してしまいます。
ここにはたくさんの新聞や週刊誌が置かれていて、すいている時間に行けば罪悪感なくゆっくり読むことができます。
私は週間ポストでおもしろそうな記事があるときは、チェルシーへ行ってコーヒーを飲みながら熟読します。女性のヌード写真満載のポストを書店で買うのはちょっとはばかられるので、とてもありがたい。
ちなみに、週間新潮で面白そうな記事があるときは、同じくご近所の昭和ムード中華料理屋に出かけます。
さて、今回は↓の記事がお目当て。
60~90代で「一人暮らし」の生活満足度 家族と「同居」よりも高かった (msn.com)
このところ、週刊現代と週間ポストは競うように、「老後問題」や「終活問題」を特集し続けています。ヌードページも相変わらずなので、いったいポストや現代は、どんな読者を目指して発信しているのでしょうね?
今回の記事では、老後はやたらと子供との同居に夢を抱かない方が良いと述べられています。
このブログでも何度もお話しましたが、お釈迦さまは、「法(真理)を拠り所にして犀の角のように一人で歩め」と弟子たちに遺言されました。人は一人で静かに歩むことが基本なのです。一方、お釈迦様は多くの人々をみちびき、交流することを喜ばれました。
日本に戻って驚いたことのひとつに「独居老人」という言葉が、まるで呪いの言葉のように用いられていることです。独居老人は不幸・・・と決め付け、孤独死はまるで罪悪のようないわれようです。
人は誰でも一人で旅立つのに・・・
阿弥陀仏や多くの菩薩たちは、常に私たちを思い、願ってくださっています。念仏者は、多くの人たちとの交流も大切にして喜べるし、一人でいるときも穏やかに暮らせるのです。臨終のときも、阿弥陀様がたくさんの菩薩さまたちと一緒に迎えに来てくれますから、念仏者に「孤独死」はありません。
私は僧侶としてとても情けないボンクラですが、「慈雲寺の庵主さんは、一人暮らしだけど、いつも楽しそうだなぁ・・・阿弥陀様と一緒だからかな?」と皆さんに思ってもらえれば、出家の本懐といえるでしょう。
ま、もちろん誰でも「寂しいなぁ・・・」と思う日があるのは当然です。そんなときは友人に手紙を書いたり、チェルシーのような「行きつけの場所」に出かけるのも良いですね。
行きつけのお寺に出かけるのもおすすめです。慈雲寺をそんな「行きつけ」にして下さるのも大歓迎!