明恵上人は鎌倉時代初期の僧侶です。彼は19歳から生涯にわたって自分の見た夢を詳細に記録しました。この夢の記録『夢記』(ゆめのき)は、世界の精神史の中でも稀有な記録と高く評価されています。
仏教では、「夢」と「現実」には大きな違いはないと考えられてきました。例えば、法然房源空上人(法然)は、中国の唐の時代の僧侶である善導大師と夢の中で対面し専修念仏の教えを確信したといわれています。夢での対面が、時と場所を越えた「リアルな対面」と受け止められているのです。
親鸞や一遍も、夢で観音菩薩や阿弥陀仏に対面する体験を通して自らの信仰を確立させています。
実は先日、インターネットで韓国の刑事ドラマ「ライフ・オン・マース」を見ました。これは英国で放送された「時空刑事」というドラマのリメイク。原作がしっかりしているせいか、かなり無理のある設定なのに、最後までとても興味深く見てしまいました。
この物語は、犯人を追跡中の刑事が頭に銃撃を受け、意識不明の状態に陥ったとき、なぜか30年前にタイムスリップし、そこでも刑事として事件を追い始めるという物語です。30年前の事件を解決していくうちに、現在の事件の真相も明らかになっていく・・・最終的には、この刑事は意識が戻るのですが、どちらの時代にいる自分が本当なのかわからなくなっていく・・・と、じわじわと不思議な恐怖が広がります。
仏教では「夢を見ているときは、それが<現実>だと思っている。目が覚めたと思ったら、まだ別の夢の中ということもある。今、お前はどこにいるのだ」、「現実とはなんなのか?」というような疑問を哲学的に追及してきました。唯識のように、人間の意識に集中する教えもあるのです。
ここ数年、友人が唯識に興味を持っているので、私も少しずつ昔の講義ノートなどを読み返したりしていました。
そのせいか、明恵のことが気になっていたのです。彼の記録を読むと、夢の中での体験をとても重視していて、覚醒時の体験との交わりかたが不思議・・・と、気になっていたら、先日、古本屋で河合隼雄の『明恵 夢を生きる』が目の前に!なんと100円でした。
しばらくは、この本を読みながら、夢と現実について考えてみようと思っています。
楽しみ、楽しみ・・・とりあえずは、今夜の夢を楽しみに、さっさと眠ることにしましょう。