だいぶ間が空いてしまいましたが、證空と道元という不思議な縁で結ばれた「兄弟」のお話を続けます。Part1とPart2は、下の「関連記事」のリストをご覧ください。
慈雲寺の属する浄土宗西山派の宗祖は法然房源空上人(法然上人)で、西山派の流祖(派祖)は善慧房證空上人(西山上人)です。證空は久我家の出身で、氏の長であった久我道親の養子となっています。
一方、曹洞宗を開いた道元禅師も久我家の出身。しかし、その両親については確定的な説がありません。一般には證空と同じ久我道親の子供ということになっています。しかし、道元は道親の孫という説もあり、養子という説もあります。證空の方を道親の実子とする資料まであります。
いずれにしても、證空と道元は久我家の一員であり、道親に非常に近い「兄弟」」の関係です。しかし、證空は治承元年(1177)の生まれで、道元は正治2年(1200)の生まれと言われていますから、一緒に育ったわけではないし、会ったことがあるかどうかも今のところ資料がありません。
先日、鶴見の総持寺に行ったとき、私の付けていた輪袈裟についている紋が曹洞宗と同じ久我竜胆なので、質問してきた曹洞宗の僧侶の方がいたので、「證空さまと道元さまは兄弟だから」とお話したのですが、総持寺の僧侶の方々は、誰一人道元の兄弟の僧侶について知りませんでした。證空・・・知られなさすぎ・・・・
私は同じような環境に育った證空と道元が、徹底した他力の教えと、徹底した自力の道を選んだことをとても興味深く思っています。そのうえで、證空が「いったん、阿弥陀仏の救いについて聞かせてもらい、それを領解(りょうげ)したら、すべての行いがお念仏になっていく」と教え、道元も座るだけでなく、すべての行動が「只管打坐」になっていくと教えているのが興味深いところです。
證空は、「お念仏するから救われるのではなく、阿弥陀仏にすでに救われている身であることを知って、喜びのあまり口からこぼれ出るのがお念仏」と教えています。ですから、座禅など他の修行も否定したりしません。
私たちの宗派に伝えられている「伝説」のようなものですが、證空は弟子たちの中から向いていると思う者を永平寺へ送っていたというのです。永平寺が開かれたのは寛元2年(1244)で、證空は元宝治元年(1247)に亡くなっているので、本当とは思えませんが、当時は今より宗派間の垣根は低かったですし、同じ一族ということで、道元の周辺の人々と證空の周辺の人々は、案外交流があったのかもしれません。
二人が直接会っていたという資料が出てくれば面白いでしょうね。
◎今日の写真は薬師寺で見た蓮の花です。